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『月刊マクロビオティック』5月号おすすめ記事

たばこ研究への道のり

勝又靖彦会長(以下:勝又):望月先生がたばこに関心を持たれた経緯を教えてください。

望月友美子(以下:望月):もともとは生命科学に興味があったのですが、大学は薬学部に進学して細胞培養系を用いた薬の開発を行っていました。薬学も基礎医学でとても重要な分野なのですが、人体に触れ得ないというもどかしさがありました。
 それから、実は大学院浪人中に地元の海岸で一日中「私はなんのために生まれてきたのだろう」と、悶々
した時期もありました。
 その時、改めて「私は人間に興味がある」と気づき、哲学や文学に進むことも考えたのですが、ずっと理系でやってきたので、「理系×人間は医学だ」と、天啓のごとく気づいたのです。

勝又:それは貴重な時間でしたね。

望月:23歳の時に薬学部を辞めて、医学部を再受験しました。最初は精神科を目指していたのですが、臨床研修で閉鎖病棟に行くと、人とも思えない患者さん、薬漬けになっている患者さんという精神病院の現実を間近で見て「私はこの人たちを救えるのだろうか?」と思ったのです。
 今では予防的な精神科領域もあり、様々な療法もありますが、当時はほとんどが薬でコントロールするしかない極限の状態で強いショックを受けました。
 その後、色々悩んだ結果、放射性診断医になろうと志望届を出そうとした瞬間に、公衆衛生学の津金(つがね)昌一郎先生にバッタリ会ったのです。津金先生は2時間もの間「公衆衛生とは予防医学であり、一つの国を救えるかも知れない」と、情熱を込めて語られました。私は心や命を救うということが医者の一番の仕事で、その手前ではありますが、放射性診断医という領域を見つけたのですが、予防することが人の命を救えるのだと初めて理解し、公衆衛生に進むことにしたのです。

勝又:公衆衛生は予防医学なのですね。

望月:それで、がんの腫瘍マーカーの開発の研究を行っていたのですが、大学院では薬学部のバックグラウンドを買われて、その時ご縁があった国立がんセンターのリサーチレジデント(若手研究者)というポストに志願して、慶応大学に席を置きながら、がんセンターに来た時に渡邉昌先生に出会いました。渡邉先生の下での最初の研究が、がんの治療によって2つ目、3つ目のがんができるというものでした。
 例えば化学療法にしても、放射線療法にしても、遺伝子を傷つけるわけですから、がん細胞をやっつけるということは、正常な細胞も傷つけるということで、がん治療原性のがんというのが私のテーマで、それで博士論文を書きました。
 そこで辿り着いた結論が「最初のがんから次のがんができるのは、ほとんどがたばこの関連領域なのだ」ということでした。しかも、大半が一年以内に2つ目のがんが見つかる。がん化は何年もかかるので、このような場合は治療によって2つ目のがんができることは有り得ないという仮説に思い至りました。そうすると「2つ目のがんも3つ目のがんもたばこの関連領域においては最初からできていて、発症のタイムラグがあるだけではないか」と。
 当時、既にがんは死因のトップになっていて、がんをコントロールするには、がんの原因の1/3であるたばこを無くすしかない。残り1/3の原因になる食事は無くすことはできないが、たばこは無くすことができるというのが公衆衛生という分野に入った私の最大のテーマだと確信しました。

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