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『月刊マクロビオティック』9月号おすすめ記事

「陰陽」は実行してみないとわからない

玄米食を続けて60年以上の歩み

平賀 佐和子(自然食料理研究家)
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勝又 靖彦(日本CI協会 会長)

※この記事は当協会会長勝又が亡くなる1ヵ月程前に対談収録したものを掲載しております。

 平成29年6月29日( 木)、広島市在住の平賀佐和子さんを訪ねました。平賀佐和子さんと勝又会長の仲は、佐和子さんが勝又会長宅に数回泊りがけで訪れるほどでしたが、ここ数年お会いする機会がなく、久しぶりの再会に笑みがこぼれます。
 今回訪問するきっかけとなったのは、直射被爆からの生還、マクロビオティックとの出会い、家族を救った手当て、自宅で始めた皆実(みなみ)CIの活動、夫・一弘さんとの別れなどが書かれた佐和子さんの記事を目にしたことからでした。今年は一弘さんの13回忌であったことから、一弘さんのお墓お参りをさせていただき、佐和子さんのご自宅でお話を聞かせていただきました。
 一弘さんのお墓は広島駅から車で約1時間の東広島市にあります。お墓へ向かう車中も、佐和子さんと勝又会長は話に花を咲かせていました。
 今年81歳の佐和子さんは60歳で運転免許を取得し、近くには自転車に乗っていくほどとてもお元気です。未だに広島大学で物理の勉強をされていることにも驚きましたが、登校時は自らハンドルを握り、約1時間運転して行くそうです。また、「私は遊びが大好き」とおっしゃる佐和子さんの趣味は多彩で、写真、絵画、カラオケ、民謡、三味線、野球観戦、スキーなどなど。三味線は75歳から習い始めたそうで、毎年行くスキーは広島近辺のスキー場はほとんど制覇しているそうです。
 佐和子さんは9歳の時、爆心地から2qの場所で一家全員が被爆されました。ご近所では亡くなった人が多かったにも関わらず、奇跡的に佐和子さんの家族は全員生存。そこにはお母さんの献身的な手当てと、たまたま梅干しと水を摂っていたことが生死を分けました。
 その後、桜沢如一先生と出会ってマクロビオティックを実践し、夫・一弘さんと共に自宅で皆実CI協会として普及啓蒙活動を続けてこられました。佐和子さんにお会いした印象は、肌もきれいで若々しく、とても被爆をした方とは思えませんでした。

 

 

梅干しだけだったらアウトだった

勝又靖彦(以下、勝又):佐和子さんは被爆当時、何人姉弟でしたか?

平賀佐和子(以下、平賀):4人姉弟でみんな被爆しました。それが私の家だけが全員残りました。近所はみんな亡くなっているんです、誰かが。その日は弟が赤痢になって、姉は級長をしていましたが、母に頼まれて学校を休んだのです。それで命拾いをしました。
私は学校に行って火傷をしたんです。
 それで、私が梅干し食べて水を飲んだのは、教えられたわけではありませんでした。9歳の時には誰からも教えられていなくて、たまたまでした。後から気がついて、そういうことだったのか、ということです。その時は陰も陽も知りませんでした。

勝又:梅干しの陽を摂って、水の陰を摂る。その陰陽が良かったのですね。梅干しだけだったらアウトだったと思います。陽陽陽だけ、陰陰陰だけだったら調和しませんよね。

平賀:そうなんです。それに、あの頃は火傷の上にはキュウリの汁も垂らしていました。

勝又:火傷の陽に対して、キュウリの陰が良かったんですね。梅干しに水で陰陽に調和したから治ったわけで、それ
を「梅干し食べたから治った」と部分だけ見てしまうと間違いですよね。

平賀:部分だけ引っ張り出して納得しようとしたら間違いです。今の日本人は部分だけつかみ取りたい、早く結果を出したい人が多いようですが、結果は行程があってこその話ですよね。

勝又:自然がなぜ人間に病気を与えているかというと、判断力を上げて欲しいからなんです。

平賀:玄米を食べないで桜沢先生の本を読んでもわからないですよね。玄米を食べてこそ、初めて先生の言うこと
がわかります。体験が大事ですよね。

勝又:暑さ寒さと同じように、今が陰なのか陽なのかを体感して、窓を開けるか閉めるか、常に変化するのが陰陽だから、それをどう掴むかですよね。ですから、これを食べていればいい、これを食べなければいい、ということではないですよね。それを、コーヒーは陰ですか? お茶は陽ですか? などと聞いてくるんですよね。

平賀:私も駆け出しの頃は、コーヒーは南方で採れるから飲んではいけないと教育をされたことがありましたが、こちらも理解力がなかったので、コーヒーは悪いものと思ったことがありました。しかし、そうではないですね。飲みたいときに飲めばいいのですが、ガブガブ飲んだり、たくさん砂糖を入れたりするからよくないのですね。

勝又:私もちょっとコーヒーを飲みたいと思って飲んだら、ものすごく色々なことが思い描けるようになった経験があります。

平賀:そういうことですね。体が欲する通り、自由にすればいいんです。方程式はないですね。

勝又:そうです、方程式はないです。今、社会で陰陽という価値観がなくなってきていますね。

平賀:私もつくづく思います。陰陽という言葉は解っていても、実行してないですね。実行が伴っていない陰陽なんて、解っていないのと同じです。

勝又:覚えただけで解った気になってしまっているのは、知性教育の弊害かもしれません。

平賀:桜沢先生に出会ってからは、とにかく実行しないと陰陽なんてわからないものだとはっきりわかりました。

勝又:佐和子さんは被爆した時に、梅干しを食べて水を飲み、陰陽に調和したから放射能にやられなかった、ということですね。

平賀:やられてはいるんですよ。髪は抜けるし、ケロイドはできていましたから。被爆した皆さんと同じ症状が全部出てきているのですが、そこで陰陽の調和をとってきたのですね。それでも、20歳の頃、桜沢先生にお会いした時「3年以内に死ぬよ」と言われたので「どうすればいいですか?」と訊いたんです。そうしたら「玄米とごま塩だ!」と言われました。
 1ヵ月くらい真面目に実行しましたが、ある先生に「そろそろ味噌汁を飲みなさい」と言われて味噌汁を飲み始めたのです。

 

2人で始めた皆実 CI協会

勝又:皆実CI協会のことをお伺いできますか?

平賀:皆実CI協会というのは、「CIにすればいいんじゃないか?」と、主人が言い出したのです。桜沢先生や里真先生にどうかしらと思われてもいけないから許可を得ようと思ってお尋ねしたら、里真先生が「どうぞどうぞ」と言ってくださったんです。「みんな無知なんだから、みんなそういう自覚を持てばいいんじゃない」と言ってくださって、それ1972年2月11日に始めたんです。

勝又:どんな活動をされたのですか?

平賀:私たち2人だけで始めました。自宅で料理講習をやったり、夫が講義をしたりしました。

勝又:どのくらい集まりましたか?

平賀:人集めは特にしてなくて、来た人にお知らせするくらいでしたが、毎回15名くらいでしたね。しばらくしたら人数が増えたので、主人が日曜大工で縁側を拡張したり、プレハブで小屋を建てたりしました。里真先生の時には40人くらい集まりました。

 

一弘さんとの愛の世界

平賀:一番上の姉の子どもの子ども、つまり孫で1歳半くらいでしたが、ひと月入院していてどうにもこうにもならなかったのですが3日で治しました。

勝又:何という病名でしたか?

平賀:それが、病名がなかったのです。

勝又:それでも引き取られたのですか?

平賀:そうです。注射もついたままでした。お医者さんに一筆書かされて、「注射や点滴を外すなら、命の保証はもうしません」と言われたそうです。1ヵ月間入院しても衰弱するばかりでただ死ぬのを待っている状態なのに、お医者さんから手を切るようなことを言われたと聞いて「すぐ連れてきな(左)佐和子さん(右)里真先生東北沢のリマ・クッキングスクールにてさい!」と言ったのです。私は「私の命をあげるから、代わりに生き延びて!」という気持ちでした。病人を手当てする時は必死です。
 主人が死ぬ時も「お前に頼む、お前に頼む」と言って、医者に行ってもやはり私だけを頼りにしていました。助けられなかったことは悔やまれますが、主人が私をそこまで信じてくれていたのかと思ったら、光に変りましたね。主人の愛というのはこのことなのかと思ったら、光が開けてきました。悲しむことよりも、こんなに素晴らしい愛の世界はないと思いました。

 

一弘さんに捧げる般若心経

平賀:どうして主人のお墓参りをしようと思われたんですか?

勝又:亡くなる時、一弘さんが「この世は全部嘘です」と言って、「本物は何ですか?」と佐和子さんが尋ねたら「愛だ!」と一弘さんが答える、この会話には強烈な印象があって、本人の前で確かめてみたいと思ったんです。

平賀:よく言えたもんだよね。桜沢先生と同じこと言ってね。

勝又:最近、先輩方が亡くなることも多いのですが、説教して亡くなる方も多いのです。奥さんや家族の幸せを願っての言葉なのですが、言っている内容が説教になってしまっているのです。
 自分が死ぬときは説教したくないな、と思うのです。一弘さんの「嘘です」というのはある意味では説教ですよね。でも、一弘さんは救われたんだと思います。そこで「そうですか、お父さん」と言ったら説教で終わっちゃうのですが、「一弘さん、よかったね。いい奥さんもらって幸せだったね」と言ってあげたいんです。

平賀:長女が「お父さん、全部お母さんの言う通りにしてたね」と言うのですが、主人はよく遊んでいましたね。人生を楽しんで、遊びまくっていました。悪い意味ではなく。

勝又:ワクワクするようなことが好きなんですね。

平賀:そうなんです。だから、団体旅行に行くと、トイレ休憩で戻って来なくなってしまうんです。それさえなければいい人でした( 笑)。主人は純真無垢で、嘘のない人だったと思います。頭の低い人で皆に好かれていました。私の大先生は主人だったと思います。

ご自宅に伺う前に向かった一弘さんのお墓までの道中は小雨がパラついていましたが、お墓に近づいた頃には一弘さんが勝又会長の訪問を喜んでいるかのように、すっかり晴れていました。丘の中腹にあるお墓に到着すると、まず仲良く草取りをしてから、二人は般若心経を唱えて一弘さんに捧げました。
 その後は、一弘さんのお墓の隣で、佐和子さんが作ってくださった昼食をいただきました。とても柔らかくて食べやすく、おいしい玄米おむすびでした。

 

ひらが さわこ
1963年(昭和11年)広島県生まれ。自然食料理研究家。9歳の時、爆心地から2kmで直射被爆。母の手当てと梅干し、そして水で助かる。広島大学教育学部に進み、物理学を専攻。卒業後は高校で教鞭を取り、後に夫となる平賀一弘氏(理学博士)と出会い、玄米食を知る。マクロビオティック創始者・桜沢如一氏の講演を聴き、玄米菜食を実践。その後、結婚して7人の子供に恵まれ、夫とともに1972年「皆実(みなみ)CI協会」を設立。


※この記事は「月刊マクロビオティック」で連載しています。