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『月刊マクロビオティック』11月号勝又靖彦追悼記事

 

お別れ会の弔辞

 勝又会長の遺徳を偲ぶ、「勝又靖彦お別れの会」を8月26日、東京都青山葬儀所にて執り行いました。お別れの会委員長は当協会代表理事、オーサワジャパン株式会社代表取締役社長 勝又遊一が務め、会には生前の勝又会長とご縁をいただいた約300名の方に全国からご参列いただき、最期の別れを惜しみました。
 蝉時雨に包まれる中、お別れの会が始まる前には勝又靖彦会長の生前の活動を紹介したメモリアル映像を皆様に見ていただき、献奏曲では勝又会長が好きだったチャイコフスキーの「悲愴」を聴いていただきました。
 会は黙祷から始まり、公益社団法人生命科学振興会理事長の渡邊昌氏他、勝又会長と特に縁の深い5名の方から弔辞をいただきました。そして、白いカーネーションを献花していただき、皆様の思いが太極図をイメージした祭壇に届けられました。
 会が終わるときには雨が降り、まるで空にいる桜沢先生ご夫妻がお別れに来ているようでした。ご参列いただきました皆様に御礼申し上げます。

 

日本綜合医学会会長 
生命科学振興会理事長

渡邊昌

 勝又靖彦さんの突然の訃報に接し、言葉を失いました。
 勝又さんは昭和15年7月生まれ、私は昭和16年1月生まれですので、
 双子の兄貴分という感じでした。
 私が国立健康・栄養研究所にいた時に食育基本法が成立し、「食育」という言葉を最初に提唱した石塚左玄を知ったことが桜沢如一、二木謙三、沼田勇など、食養の系譜を学ぶきっかけとなりました。
 勝又氏は桜沢如一の教えを受けた最後の弟子として在欧中の資料や新聞も集めておられましたので、色々な
資料をお借りして、桜沢如一の正食、マクロビオティックにかけた情熱を知ったのです。食養のみでなく、世界平和にかける情熱も素晴らしいものでした。勝又氏は、桜沢如一の「無双原理」や「陰陽」といった哲学的思想にも深く傾倒し、一流の研究者でもありました。
 日本CI協会会長としての勝又氏は桜沢氏の奥様の開いたリマ・クッキングスクールを支援し、池尻大橋に日本CI協会のビルを新築し、桜沢如一資料室をつくり、資料の収集、展示、公開と八面六臂の活躍をなさいました。社会啓蒙活動として2010年より始めた「マクロビオティック医学シンポジウム」も時代の先端を扱うレベルの高いものでした。
 勝又氏は痩身でダンディな方でした。お亡くなりになってから聞いたところでは体重が45sしかなかったとのこと。一時はさらに痩せたとのことで、170p以上あった身長から計算するとBMI値は15〜14しかなかったことになります。もっと太るようにお話したことはあるのですが、甲田光雄の少食は世界を救うという説を実践したような生き方でした。
 私は「科学の先―現代生気論」の中で人智の及ばぬ世界のことを書きましたが、最近、私たちの暮らす「顕」の世界と、科学的には証明できない「冥」の世界の繋がりを考えるようになりました。私たちの住む顕の世界と、勝又氏の往かれた冥の世界は、実は太いパイプで繋がっているのではないかということです。
 どうか冥の世界からも私たちを叱咤激励して、食養道の発展にお力添えしていただけるように願ってやみません。

 

赤穂化成株式会社 代表取締役社長 
株式会社天塩 代表取締役会長

池上良成

 本日、故勝又靖彦様の御霊に対し、謹んで哀悼の意を捧げます。
 貴方のご逝去は食品業界のみならず、食の未来にとっても大変残念なことです。若くして日本CI創設者の桜沢如一先生の薫陶を受け、マクロビオティック一筋の人生をスタートされました。そして今から45年前、日本の塩田がすべてなくなり、塩はすべてイオン交換膜法という化学塩になり、世に自然塩運動が起こり、それを日本CI運動との融合でその勢いが加速され、塩専売法がある中で、政治的にも経済的にも大変困難な時代でしたが、それにもかかわらずその先達の一人として自然塩「赤穂の天塩」を全国に普及する運動に貢献されました。
 以前、天塩在職32年間を振り返って普及の過程では「人知を超えた大きな運命が働いた」、また「奇跡の連続だった」と述懐されていました。苦しい時の心の支えは「人も自然の一部であり、食べ物は自然を無視したものであって
はならない」というマクロビオティックの理念でした。
 私は赤穂化成の社長になって足掛け20年近くになりますが、天塩の元社長であった勝又さんとは色々なドラマがあり、志を同じくする戦友の一人でした。私が社長になってすぐに始めた「海洋深層水 天海の水」が大変なブームになり、売り上げが急拡大しました。そしてその後、親会社と経営権を巡って争っていた時に「池上を助ける!」ということで、天塩との資本関係が全くなかった時に私に第三者割当で株を割り当てられ、親会社も渋々認めざるを得なくなり、その後色々のことがあり塩自由化の平成14年度MBOで自主独立をしました。これらも勝又さんを始めとして天塩さんの支えがなければとてもできませんでした。そして平成20年に赤穂化成と天塩が資本関係を結び、晴れて「製販一体」となって歩み出しました。
 これからも幾多の困難に出会うかもしれませんが、生前の勝又さんのご指導を思い出し、臆することなく前に向かって舵取りをしていきます。生前のご指導に深い感謝を捧げてお別れの挨拶とさせていただきます。ご教訓は私どもの心の中に刻まれており、いつまでも消えることはございません。どうぞ安らかなご冥福をお祈りいたします。

 

海の精株式会社 代表取締役社長
NPO法人日本食用塩研究会

代表理事 寺田牧人

 勝又会長とは30数年ほど前に日本CI協会に出入りさせていただくようになった頃から親しくさせていただきました。訃報は伊豆大島で受け、蝉時雨の中で時間が止まったような衝撃を受けました。
 強い使命感を持ち、他者には深い気遣いをされながら、陰と陽が釣り合い豊かな中庸を成すように、会長は多くの優れた仕事を成し遂げられました。あるべき社会、来るべき未来、自分はどう生きればいいのか、会長は常に恩師桜沢如一先生への尽きぬ尊敬の想いとともに活動されました。そうした成果が地道な広報や丁寧に紡がれた人脈によって導かれた今日のマクロビオティックの広がりであり、日本CI協会の分科会として発足した「食用塩調査会」を中心として展開された自然塩復活運動のメンバーとしてのご活躍でした。
 現在、全国どこの食品店にも様々な塩が並んでいます。それが塩運動と深い関わりを持っていたことは遠く忘れ去られていますが、源流を辿ったとき命をつなぐ大切な塩を求めて奔走した人々がいたことを忘れてはなりません。塩運動のなかで考案されて日本中で愛用されるようになった、いわゆる自然塩の代表格ともいえる「天塩」の社長も務められました。マクロビオティックの顕彰碑と日本CI協会の納骨堂の建立も勝又会長でなくては成しえなかった事業です。
 「人は死んだらこの世から姿はなくなるが、誰かがその人を思い出したり考えたりすることは、その人と会話をしているということなんだよ、それは形が変わっただけでその人は存在している、生きているということなんだよ」と話してくださったことがありました。
 これからも折に触れてお話をさせていただきますが、その時は、どうぞよろしくお願いいたします。勝又会長、長い間、本当にありがとうございました。

 

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※この記事は「月刊マクロビオティック」で連載しています。