日本CI協会はマクロビオティックの創始者桜沢如一によって創設された日本で最も歴史のあるマクロビオティックの普及団体です。

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『月刊マクロビオティック』2021年3月号おすすめ記事

理屈ではない食の大切さを伝えたい

中田 はる

マクロビオティック クッキングスクール リマは、今年で開校56年目を迎えます。本校の他、スクールの理念に共感し、マクロビオティックの普及のために尽力してくれている姉妹校が全国に12校あります。今回の特集は、リマ初の姉妹校として開校26年目を迎える石神井校を主宰している中田はる先生が、どのようにマクロビオティックと出会い、どのように過ごされ、今何を想うかなど、これまでのマクロビオティック人生を振り返っていただきました。

 

 

昨年から世界中に広がっている新型コロナウイルスは様々な方面に影響を及ぼし、私たちの日常生活も大きく変化しました。クッキングスクール リマ石神井校では、少人数でマスク着用、換気の徹底、試食時は対面にならないように座る等の対処をしながら講座を続けています。ただ、感染予防対策も大事ですが、自分の身体の免疫力を高めることはもっと大切です。効率優先で自然の摂理に反し、地球環境を破壊する方向に行き過ぎてしまった現代生活を見直す動きが出てきた今こそ、マクロビオティックをより多くの方に知っていただく良い機会だと思っています。

 

父はMI塾生(※)


私は生まれた時から東京で暮らしています。コロナ禍も含めて常に過剰な情報が氾濫する中でも右往左往することなく、いつも心穏やかに過ごしてこられたのは、大きな視点で物事を見て考え、自然の声・自分の内なる声を聴き、宇宙の秩序に従って生きるマクロビオティックを生活の指針として続けてきたお蔭で、本当にマクロビオティックに出会えたことは有り難く、これまで続けてきて良かったとしみじみ感じています。

私がマクロビオティックに出会うきっかけとなった父・渋沢元則について簡単に紹介させていただきます。父は1918年に長野県の上田市の養蚕兼業農家の七人兄弟姉妹の次男として生まれ、子どもの頃は身体が弱く医者通いをしていたそうです。旧制上田中学を卒業後、上京して下宿暮らしをしている中で結核になり、郷里に戻り療養中、祖母か
ら桜沢如一先生の講演会に行ってみたら? と勧められたことから桜沢先生の弟子になりました。実家近くの温泉場で玄米食の自炊をしながら湯治療養をして病を克服し、1941年に復学。祖母も父と一緒に食養を実践して自身の慢性胃腸病が快癒し、それ以来玄米健康法が生活の基盤となりました。

第二次世界大戦後、父は弟たちと三鷹で暮らし始め、そこから日吉にあった桜沢如一先生のMI塾に一緒に通っていたそうです。その後、父は東京外国語大学でオランダ語の教授となり、叔父・渋沢孝輔は明治大学でフランス語の教授を勤める傍ら、詩人としても高見順賞や萩原朔太郎賞を受賞しました。

また、私の母との婚約時代のエピソードとして、食糧事情が悪く、悪化していた母の水虫を玄米が手に入らなかったため、白米とごま塩で治したと聞きました。きっと、水分の摂り方や食事の仕方など生活習慣についても指導があったのではないかと推測しています。

その後結婚、1954年に私が、翌年妹が生まれました。父の二人の弟たちも結婚して次々に子どもが生まれ、大家族で暮らしていました。当時、我が家には桜沢先生の古い著書がたくさんあり、日常の会話の中でも食養、無双原理、陰陽などの言葉を度々耳にしました。また父と叔父の共通の友人が遊びに来ると「マッシュ」などの名前で呼び合っていたのを覚えています。今思うと、あれはPUネームだったのでしょう。

 

 

昔の食卓風景


当時の我が家の食卓はたまに玄米、普段は分づき米のご飯に野菜中心の食事で、おやつはせんべいや蒸かし芋でした。昭和30年代は世の中全体も大変に質素だったので、我が家だけが特別な食事だとは思っていませんでした。ただ、インスタントラーメンが発売されたり、スーパーマーケットができていろいろな珍しい食品を目にするようにはなっていましたが、我が家では添加物や着色料、甘味料の入った甘いお菓子などは絶対に食べてはいけないと厳しく言われていたので、それほど食べたいと思った記憶はありません。小学校の遠足のときだけは決められた金額内で好きなお菓子を買っていいことになっていて、物珍しさでチョコレートを買いましたがもったいなくて? 食べずに持ち
帰り、引き出しにしまいこんだまま忘れ、気がついたら周りが白くなっていて食べられなかったという思い出があります。

普段の食卓は素食でしたが、たまに外食をするときはお店もメニューも決まっていました。今でも覚えているのは、洋食レストランのトマト父 82歳の頃クリームスープとエビフライがおいしかったことです。デザートは子ども心にはアイスクリームが魅力的でしたが、アイスはお腹をこわすからプリンならいいと言われて決まってプリンでした。

家で鍋物をすると、母が白菜の芯の部分を扇形に切ってハマグリだと言うので、半信半疑ながらも妹と競って食べていたのを想い出します。また、父のオランダ留学帰国後は、オランダで食べておいしかった黒パンやフランスパンに一切れのエダムチーズをのせたものが食卓にあがることもありました。

思い出の写真、数少ないハレの日の食卓(雛まつり)をご紹介します。一年に数回のご馳走なので、普段は使わないものを使っています。

奥のショートケーキに見えるのは白食パンの間にカステラを挟んで菱形に切ったものです。手前のお雛様はいなり寿司をかんぴょうで巻いてうずらの卵を顔に見立てています(目は黒ごま、口は紅生姜)。菱餅に見立てたライスケーキ(中央)は、下からほうれん草のみじん切りとあおのりをご飯に混ぜたもの、鮭ほぐしとゆかりをご飯を混ぜたもの、最上段に紅麹で着色したでんぶをのせています。

 

食は生命


私が小学校六年生のときに3家族の共同生活は終わり、家族だけで世田谷区に引っ越しました。小学校の給食は普通に食べていましたが、中学はお弁当だったので、茶色っぽい自分のお弁当に引け目を感じていたのを想い出します。また、中学生になると友だちはコーラやファンタをおいしそうに飲んでいましたが、私は薬の味がして飲めませんでした。おやつは母や妹と一緒に手作りしたパンやクッキーが一番おいしいと感じていました。その頃の私の趣味の
ひとつがお菓子作りでした。

高校に入り、自分の将来の進路のことなどを真剣に考えるようになり、思い出したのは子どもの頃の食卓風景とそのときの大人たちの会話でした。生命は食べ物と直結しているということと、食べたもので自分が生かされているという不思議。

「食と生命」を一生のテーマにしようと考えました。物を食べたときに身体の中では何が起きているのだろう? まずは生命現象を基礎から化学的に勉強しようと考え、大学では生化学を専攻。卒業後、医学部研究室勤務を経て高校の非常勤講師をしながら、1979年に念願のリマクッキングアカデミーに通うことになりました。当時、里真先生はちょうど80歳で若々しくキビキビと動かれ、初級から師範クラスまで一貫して厳しくもやさしくご指導くださいました。

 

里真先生からの学び


里真先生から食養料理の数々を学ぶうちに「早く自分の台所を持って愛する人たちに料理を食べてもらいたい」という気持ちから結婚願望が芽生えました。何人かとお見合いのようなこともしましたが、「肉は食べません。コーヒーや紅茶も飲みません」とこだわっているうちはうまくいかず、こだわらずなんでも食べようと思った頃に夫との出会いがあり、縁あって1980年に結婚しました。

夫の実家は元々素食で、誕生日のすき焼きが最高のご馳走だったそうです。夫も食に関してこだわりがないというか、あまり関心がない人だったので、私が作る玄米ご飯や食養料理にも抵抗なく、「おいしい」と食べてくれました。結婚当初は気を使って胚芽米に肉や魚を出し、休日だけ玄米食にしていました。

やがて妊娠し、自然出産を望んでいたのですが、初産の不安や諸々の事情から実家近くの病院で出産することとなり、妊娠・入院中は病院の指導に従い、普通の食事でした。出産は割合軽く安産でしたが、3日目に初めて乳房が張ってきたときにシコリができ、絞ってもマッサージしても消えませんでした。張ってくると痛むので、医師から「乳腺炎の恐れがあるから切開するか母乳を止めてしまうしかない」と言われ、病院へ行くのをやめました。

なんとかしなければと本屋で探した母乳育児の本から「自然育児相談所」を知り、父と一緒に生後一ヵ月の長男を連れて出かけ、所長の山西みな子先生から乳房の治療手技と食事指導を受けました。

穀物が主食で野菜の煮物などを添えたいわゆる日本の伝統食がおっぱいに良いといわれ、果物や甘いものを避け、その土地でその季節に採れる物を食べました。話を聞くほどにマクロビオティックの考え方と一致したことに驚いたことを今でもはっきり覚えています。

その後もときどき乳房の手当てを受けながら食事と飲ませ方に気をつけていると、一ヵ月後にはシコリも小さく柔らかくなってきて、心配していた乳腺炎を起こすこともなく、一歳二ヵ月までしっかり母乳を飲ませることができました。授乳期間中は普段より食事と身体の関係がより体感できました。おっぱいを通して赤ちゃんが正しい食事を教えてくれたのです。私がたまにコーヒーを飲んだときは必ず鼻水が。油っこい料理を食べた翌日には顔中に赤いブツブツができ、おっぱいも嫌がり、いかにもまずそうにゴニョゴニョ文句を言いながら飲んでいました。友だちの結婚式でご馳走を食べたときなどは、足や首の付け根にブツブツが。逆に七号食に近い食事を一週間続けると、長寝せず、夜中もきっちり2時間毎に目を覚ましてパッと飲んでサッと寝るのにはほんとに驚きました。

その他、トラブルがあればユキノシタや里芋パスターなど自然の手当てを施し、離乳食も穀物を中心に少量の野菜を加えて子どもの様子を見ながらゆっくり進め、我が子は4人とも一歳二ヵ月〜一歳半で無理なく断乳を迎えられ、その時もマクロビオティックを実践してきて良かったと痛感しました。

 


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