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『月刊マクロビオティック』2022年5月号特集

特集 食養の観点から「教育」を考える

 

世界広しと云えども、健やかな子どもたちの成長を望まない人など一人もおりません。 また、我が子の愉しく充実した人生を祈らない親もいません。もし仮に、私たちが子どもの汚れのない目を通して世界を眺めることができたなら、そこにはきっと平和で活気に満ちた可能性の世界が地平線まで広がっているに違いありません。

かつて私たちの国には、世界に類を見ない芳醇な文化が花開いた時代がありました。読み書きそろばんや地域の歴史を教える寺子屋が、その基礎を支える役割を担ってきました。また各種の芸事 、音曲や華道・茶道などの作法を学ぶためのお稽古場も至る所に存在していました。青年期となれば心の修練を目的とした様々な道場があり、さらには学問の研鑽を深めるための私塾が各地に存在していました。学術・芸術文化の黄金時代を謳歌していたのでした。市しせい井 にて私的に運営された、こうした教育のシステムは、幕藩による行政的な関与はなく、すべて一般市民から自発的に起り、奇跡のような一大システムが成立していたのでした。

いじめや不登校といった諸問題に直面する近代教育。かつての教育がもっていた豊かな多様性を、私たちは今こそ最も必要としているのではないでしょうか。本誌創刊者でもあった桜沢如一は、そうした理想の教育、さらには理想の人間社会が、人々の「食への理解」によって、実現の扉が開かれることを知っていました。

今月の特集企画は、自ら近代教育の現場に身を置いた上で「新しい教育」を標榜する教育者。食養と断食のメソッドを組み合わせ、多くの病んだ人々に寄り添う食養家。また料理を通して教育に携わるマクロビオティック実践者。そんな3人によるトークセッションが実現しました。お愉しみいただけたら幸いです。

 

 

森騰廣:マクロビオティック クッキングスクール リマの森です。今日は宜しくお願いいたします。「はじめ塾」については私も10年ほど前からお話を伺っていましたが、当協会の顧問を務めていた故・田中愛子先生も時折訪れていたことと聞
き及んでおりまして、和田先生も「はじめ塾」ではマクロビオティックを取り入れていただいて「食を通して体と心を調えていこう」という場であると承知いたしております。マクロビオティックは何よりも実践が大切なので、まずは「食べ始めて3ヵ月で身体の変化を実感していただこう」という活動をメインにしています。当協会は「世界のマクロビオティックセンター」であり、発祥地だという自覚をもって活動していきたいと思っています。

 

マクロビオティック和道


森:それではまず、両先生から自己紹介をしていただきます。磯貝先生から「マクロビオティック和道」の活動を教えていただけますか?

磯貝昌寛:和田先生には公私共々お世話になっています。うちの長男に子どもたちとたけのこ掘り(はじめ塾)対しても父のように接していただいて本当に感謝に堪えません。

「はじめ塾」とのお付き合いも10数年、私は大森英桜先生と石田英湾先生から大変大きな影響を受けてきたのですが、和田先生との出会いがなければ「マクロビオティック和道」を始めることは出来なかったと思っています。

桜沢如一先生も「何はともあれ生活だよ」と、仰っていますが、正宏先生のお父様の重宏先生とお会いして学ばせていただく中で感じたことは、日々の生活こそが教育と一体のものだと云うことです。誰であれ「生きて老いて病んで亡くなる『生老病死』」で、そうした「人間」が生活を営んでいるわけですから、生活そのものが教育であり哲学であるのだと思います。桜沢先生の云う実用弁証法として、すべては生活に集約しているということですね。その実態を和田重宏先生から学ばせていただいたのです。それが「和道」を始めるきっかけとなりました。

中高生向けの断食合宿(マクロビオティック和道)

 

はじめ塾


森:では和田先生から「はじめ塾」の目的と、またその経緯をお伺いしたいと思います。

和田正宏: うちは「私塾」で祖父(和田重正)の代、1933年からやっています。祖父は青少年の健全育成と云うか、心も身体もきちんとすれば自立した一個の人間に育つということから始まって、まだ時代が時代でしたので、集まって精神訓話的にやっていくような方法がメインだったそうです。

その後、学校が荒れた高度経済成長の時代、父の重宏が、子どもたちへの意思疎通が希薄になっていき、社会生活も食生活も急速に変わっていった時代ですので、まずは体を調えることから始めていったようです。

形としては、寄宿であったり合宿型であったり、そのような活動は祖父の代から続いているのですが、その中で父の代には、よりアクティブな生活をするようになってきました。

 

ボストンでの出来事


和田:私は大学の頃に、縁あって1年間、ボストンの久司道夫先生のところにお世話になったことがあります。食から体を調える必要があるということで、父と母にすれば私を久司先生の元へ行かせたかったようです。私はただボストンに遊びに行けることを喜んだのですが、その頃は無理に食べさせられていたような時期があったので玄米は嫌いだったのです。

アメリカに行けるならいいなと、道夫先生とアヴェリーヌ先生のお宅で生活していたのですが、最初はアメリカンなジャンクフードを食べていました。道夫先生とアヴェリーヌ先生に、「マサさんはアメリカの生活を楽しんでいますね」と言ってい
ただき気持ちが楽になり、せっかく先生のお宅にいるのだからマクロビオティック料理を食べてみようと思ったのです。それで実際に食べてみたら、「玄米ってこんなに美味しいんだ、蕎麦はこんなに美味しいんだ」と感じたわけです。

クシインスティテュートでパトリシオ(※1)と彼のお母さんが現役で活躍していた頃、可愛がってもらいながら、「自分の意思で食べてみると、こんなにも美味しく楽しいものだ」ということを学びました。縁あってヘルマン相原先生とコーネリアさんのところでもお世話になり、それから日本に戻ってきました。

 

関係性を学ぶ


和田:そんな経験があったので、「はじめ塾」での食生活は、穀物菜食に近い形でやっています。しかし20〜30人で生活していると、こういう食生活は落ち着く、こういう食生活だと喧嘩ばかりしている、と云った具合に、だんだんと解ってくるのです。そうした中で無理なく穀物菜食に近いものに落ち着いてきたというわけです。

寄宿の生活では、畑をやったり、何をするにも可能な限り自分たちの手でやっています。一般的な皆さんの生活は、お金を支払うことで何かを得て、それをツギハギして生活が成り立っている。そうではなくて、もう少し地に足のついた生活、私たちの言葉で云うなら「関係性」が繋がっている生活です。

「野菜を畑から採ってきて食べよう」、家を建てるのなら「自分たちでやってみよう」と、関係性が実感として捉えられるようになると、単純な思考にはならない。子どもたちは、将来的に行き詰まらないでやっていける。上手くいかないことはいくらでもあるけれど、繋がっていける。そういう繋がりの中で、密度濃く学んでいける。そう思って活動しています。

子どもたちとたけのこ掘り(はじめ塾)

 

食の乱れは生活の乱れ


磯貝:そうですね。成長と云うと赤ちゃんから亡くなるまで、だんだん陽性から陰性になってくるけれど、教育や知識というものもまた、広がっていく陰性のものだと思うのです。子どもたちにとっては「朱に交われば赤くなる」ではないですが、まだ親に近いところにいる小学生から、中学生になるとグッと社会性が広がります。

今の社会は関係性が非常に希薄で、あるとしてもお金の関係性ばかりになってしまう傾向があると思います。中、高、大学入ってさらに社会に出て行く。親の近くにいた小学生の頃に比べて、中学生の生活は乱れやすいですね。

うちの長男なども、その点で不登校になってしまったのは、そういう関係性が何かしっくりこなかったのでしょうね。長女や次女は、何とかそうした社会の中でやっていますけれど、私の目から見るとすごく乱れてきていると感じるのです。

食が乱れてくると家での生活というのもままならない状態になってきます。生活から、人相から、いろんな点が乱れて、けれど逆に見られて学ぶという点もありますから、一概に悪いというわけでもないのです。

長男と長女が斉藤武次さん(※2)にお会いした時に、「お前たちはマクロビオティックで育ったんだな」と言われ、「大いに邪食しろよ! 邪食していろいろ経験した方がいいよ」なんて言われたので、子どもたちは喜んで「やったぁ! お墨付きもらったー!」なんて言って、相変わらず大いにやっていますけれど(笑)。

今の社会に対しての結論になってしまいますが、どのようなアプローチが良いのかということが大きな課題だと感じています。

 

現代の教育問題に迫る


森:はじめ塾の写真を拝見しましたが、言葉で言うだけでなく、体験と連動しているのはすごいと思いました。そこでひとつ和田先生にお訊きしたいのですが、先生ご自身は、学校には通われていたんですか?

和田:私は親父に「高校行くのは馬鹿らしいから高卒認定して行け」と言われたのですが、それに抵抗して、「俺は行きたいから勝手に行く」と言って、普通に小・中・高・大と行ってさらにその後教員までしていました。

森:と云うことは現代教育も体験してよくご存知だということですね。

今回の我々3人はほぼ同世代だと思いますが、当時の中学校や高校は不良がいて校内暴力も結構すごかったですね。いじめや登校拒否もありました。

ドラマになったくらい校内暴力がすごかった時代だったと思います。今はだいぶ暴力が減って、今度はスマホを使った陰湿ないじめが流行っていると聞きます。そういうところも含めて現代教育の問題点についてお訊きしたいと思います。

経済のお話をみんなで聴いています(はじめ塾)

 

パワーが低下する子どもたち


和田: 現代教育の問題点として、子どもたちのパワーがなくなってきています。エネルギーが乏しくなってきていることを非常に感じますね。

一例ですが、分かりやすいのは海外への留学志向が減っていると言いますね。学生たちの内に籠りたがる傾向を感じます。

学校などの教育現場では、基本、コストパフォーマンスが重視されているような気がします。教員の人数や投じられるコストに対して、どこまで全体の効果を上げられるかを目指しているようで、教員たちにはそのような自覚はないのでしょうが、しかし、「一人一人を大切に」と言う割には、全体のアベレージを上げることが目標に設定されてしまっているのではないかと思います。

特に出来る子をさらに伸ばすとか、出来ない子も皆んなで一緒にやっていこう、言葉ではそう言うのですが、主眼をどこに置いているのでしょう。

そのことはやはり教育に関わっている人たちが、あまり自覚してない。建前の上に立ってしまっている。そこが一番の問題なのかなと思います。

 

学校教育と人間教育


磯貝:余談ではありますが、和田先生も教員をされていて、さらにお父様の重宏先生は教員から小田原市の教育委員長まで務めていたのです。教育のトップです。しかし、その先生が「もう学校駄目です」と言う…。桜沢如一も同じスタンスで、学校を批判しておいて、「だけど学校はあってもいいよ」と。なくすわけではなくて、「学校はあってもいい」、結局
「自分たちがしっかりしてさえいれば学校はあってもなくてもいい」と。

そこはいわゆる本質的な人間教育なのかなと思うんです。だから和田先生たちも学校教育を否定しているわけではなく、あってもいいのだけれど、「自分たちの生命力をどう高めていくか」なのです。したがって私も、和田先生に同感なのですが、どんどん生命力が落ちていっている傾向を懸念しています。

歴史を勉強してみると、私たちはすでに落ちてしまっているところに生まれてきたのだということを感じるんです。江戸の末期や明治の頃にはすごく生命力があったのですが、その頃から西洋の思想が入ってきて、食生活が少しづつ欧米化し始め、徐々に生命力が落ちてきたという印象ですね。

断食合宿中のウォーキング。時には10km歩くことも
(マクロビオティック和道)

 

学力は生命力の延長


磯貝:「百ます計算」で有名な陰山英男さんという方が言いましたが、「学力というのは生命力の延長なんだ」と、その上での学力だったら良いのですが、生命力を犠牲にして学歴のために必死で勉強しているというのはどうなんでしょう。命を削って肩書や収入を得ても、結局生命力がなくなってしまったら本末転倒です。

「マクロビオティック和道」を訪れる人たちは病気の人が多いのですが、今まで働いて一生懸命稼いだけど、最後病気になって、稼いだお金を全部医療費で使うと、何のために…となってしまいます。けれど、そこで気付いて生き方を変える人もいるので、それはそれで意味のあることではないかと思います。

最終的には「生命力」だと思います。それをいかに高めていくか。これが教育の根幹であるべきです。今の日本で一番大事なところじゃないかな、というふうに感じます。

森:和田先生にお訊きしたいのですが、お父様が教育委員長をされていたということですが、その力では現代教育を変えられなかったんですか。

和田:トップからでは変えられません。組織は難しいですね。

 

変化は現場から


和田:実際子どもたちに関わるのは現場の人たちじゃないですか。典型的なのは思い切った授業削減の「ゆとり教育」ですね。

当時文科省の事務次官を務めていた寺脇研さんが、何度も「はじめ塾」を訪ねてくれて、お話していると、「ゆとり教育」って、やることを減らすわけじゃないんですね。目指しているのは授業を減らしたことによって、もっとできる子はどんどんやる。上で止められていた子たちもいくらでも伸ばしていける。落ちこぼれも作らないでみんなでやっていこうと、そう
いうスタートだったのです。

ところが実際にやってみると、楽するためにどんどん減らして、その結果全体の深刻な学力低下が起きてしまいました。つまりあれは、現場にちゃんと伝わっていなかったんです。彼らが最初に提示した意図が現場に降りていかなかったのです。

なので旗を振る人と現場のギャップですね。そんな中で即時性が求められてしまうのは、日本社会の力と知恵の足りないところだなと感じますね。

森:クッキングスクール リマでも、そうした傾向を感じることがあります。「秩序がない」という一言で終えていますが、先ほどお2人から出た「子どものパワーがなくなっている」と、その原因として先ほどドラマの話もしましたが、暴力を振るう
側もいれば、振るわれる側もいます。いじめる側もいればいじめられる側もいます。言い換えると、彼らも好きでやっているわけではなく、ある意味犠牲者ではないかとさえ思います。その辺りについても何かあればお伺いしたいのですが…。

もちつき用のもち米炊飯係は小さい子たち(はじめ塾)

 


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