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『月刊マクロビオティック』2022年10月号特集

特集 現代に甦える食養の祖 石塚左玄

マクロビオティックは「食養」という考え方から、その基礎を受け継いでいることは本誌読者の皆様ならすでにご存知のことと思います。明治29年に陸軍薬剤監を退職した石塚左玄を会長として発足したのが「食養会」です。そこでは食事法による健康増進を目的とした独自の理論が展開されていました。その中でも特に注目されるのが「身土不二」という考え方です。それは、その土地に住む人はその土地で採れた季節の作物をいただくというものです。

明治45年、食養会の理事であり、陸軍騎兵大佐でもあった西端学が、石塚左玄の思想を一般化し、広く拡散すべく「地元で採れた作物が身体に良く、離れた土地で採れたものは身体に悪い」と説いたところ、京都のある僧侶から「仏典に身土不二という言葉がある」と教えられたそうです。仏典とは少し意味合いが異なりますが、西端学は以降この説を「身土不二(しんどふじ)」と呼び、食養会独自の原則として広めたと伝えられています。

時代は昭和に下り「地元の食品が身体に良いという考えは、仏教に基づく日本の伝統」との説が、有機農業・自然食販売・生協運動・一部農業団体・代替医療などの分野まで広まることとなります。食養思想を元にマクロビオティックを創始した当協会の創設者であり、当誌の創刊者でもあった桜沢如一もまた、自身の著書に「身土不二は法華経に基づくもの」だと記しています。若き日の桜沢如一は、肺・腸結核など多くの病気に苦しんでいましたが、「食養」に出会ったことで健康を快復したことがきっかけとなり、食養会への入会から会長という要職を歴任した時期もありました。現在、世界中に広がりをみせるマクロビオティックは石塚左玄や西端学といった先達たちの尊い功績の上に成り立っているのです。

今月の企画は、石塚左玄研究の第一人者で「食養の祖石塚左玄物語」の著者でもあり、「フードヘルス石塚左玄塾」の顧問を務める岩佐勢市氏に、当誌編集部からの質問に答えていただく形式での寄稿をお願いしました。改めて先達の遺した偉大な仕事に敬意を捧げる機会となれば幸いです。

 

Q1 石塚左玄を研究されるようになったきっかけは?


石塚左玄に関心を持ったのは、やはり食育基本法の成立でした。今から17年前の2005年(平成17年6月10日)小泉政権により「食育基本法」が成立、 同年7月15日施行から実施されました。当時私はJA厚生連に在職中でJA組合員への健康福祉事業として健康寿命の延伸・介護保険事業などを担当しており、以前から「食と健康」に関心を持っていました。

国は「食育基本法」の必要性として子どもたちが朝食を食べず小学校へ登校している者は10%(「時々食べていない」も含む)もあり、10人に1人が朝食も食べず通学して果たして元気盛りであるはずなのに大丈夫だろうか? と多くの国民がビックリしたものです。

又、飽食と言われる乱れたアンバランスな食生活が原因となって生活習慣病等が激増していると言います。食が人を作るはずが、逆に食が病気の元になっています。生活習慣病防止の為にも食生活見直しを啓発した法律が「食育基本法」です。

小学生のみならず、朝食の欠食率は20代が最も高く、20代男性で30%を超え20代女性でも22%と3人から5人に一人が朝食欠食者となっています。そして、過度の痩身志向や生活習慣病で不規則な食事や栄養の偏り等、健康にも関わる事をアピールしています。更に食料自給率もカロリー換算で37%と低迷して、このまま引き続き世界から食を輸入して台所を維持できるのか? また同時に海外に依存していて食の安全も大丈夫だろうかと不安になります。

日本で初めて「食育」なる言葉を考えたのが「石塚左玄」であり「食育の祖」と称えられているとの事です。石塚左玄は食育基本法の主人公であるのですが、そして福井県所縁の人だと言うのです。一応職場で「石塚左玄」を知っている者は? と聞きましたが、誰も知っている職員はおりませんでした。

先ず地元福井県人であり健康に関する訓えを提唱されている「食育の祖 石塚左玄」を学ぶべきと思ったのです。食育基本法そのものより、福井では石塚左玄の人なりを先ず調べることが最初で、その上で「食育」を考えたほうが合理的と思いました。

そこで図書・教育委員会・県・JA中央会・県医師会にも問い合わせするも不明でした。そこが福井の偉人「石塚左玄」を探す原点でした。「石塚左玄」について何冊もの著書のある静岡の沼田勇医師(当時92歳くらい)にもお手紙を書いて福井と石塚左玄についてお尋ねしました。具体的には「食育」というより左玄探しの一歩でした。それから石塚左玄のご子孫に至るにはまだ2年が必要でした。

「食育基本法」の前文には「食育の祖 石塚左玄の訓え」がはめこんであります。

『子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付けていくためには、何よりも「食」が重要である。今、改めて、食育を、生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきものと位置付けるとともに、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる食育を推進することが求められています。もとより、食育はあらゆる世代の国民に必要なものであるが、子どもたちに対する食育は、心身の成長及び人格の形成に大きな影響を及ぼし、生涯にわたって健全な心と身体を培い豊かな人間性をはぐくんでいく基礎となるものである』

沼田先生やご子孫からも「食育」をご教示頂きました。「食育基本法」成立に合わせたように私の食育推進がスタートしました。もし「食育基本法」の成立がなければ福井の偉人石塚左玄も永久に発掘されなかったと思います。福井県人であり、食育の祖である石塚左玄への思いと毎日の飽食とも言える食生活から脱し、食育基本法」が原因の生活習慣病を減らしてもっともっと健康になって欲しい心がスタートでした。

 

 

Q2 石塚左玄の訓えを簡単に教えてください


私は石塚左玄の訓えを6つに整理しています。沼田先生からご教授頂いたことと子どもたちにも理解出るように整理しています。特に食の陰陽論は考え方のみ話して具体的には食の栄養バランスとしています。

 

Q3 石塚左玄とはどんなお人柄の人物だったと

   想像していますか?


一言で言えば「質実剛健」的な男性であったと思います。しかし彼は健ではありませんでした。幼少期に皮膚病を患い、更に腎臓病で病みます。質実剛病と言うべきかもしれません。静岡からの依頼で講演中に左玄は尿毒症で倒れます。この後3か月で死去されますが、医師で薬剤師で「食育の祖」とも称えられる左玄が58歳ではあまりにも短いのでは?と聞かれます。確かに58歳では若いですね。しかし現代と比較すれば若いですが、当時の平均寿命は44歳(厚労省データ)です。また、乳幼児の死亡率が高い事や戦争の影響で今との比較は適切ではないと思いますが、当時では58歳は長生きの方です。

しかし日清戦争時にも左玄は陸軍病院に入院したり、左玄の身体は相当に深い病を持っていました。左玄自身体調が悪くて家族から静岡へ行くことを猛反対されますが、「私の話を聞きたいと言う者が一人でもおれば行かなければならない」と出かけ、講演中に倒れます。

頑固一徹で何事にも強い責任感ある人でありました。左玄が食の陰陽を研究したノートがありますが、寝食忘れて必死になって食に取り組んでいる姿が浮かび上がります。正しく質実剛健・勉強家・強い責任感を持ち合わせた人こそ、石塚左玄でした。性格が命を縮めたのは間違いないでしょう。

 

 

Q4 石塚左玄と桜沢如一との関係について

   どのようなご認識をお持ちでしょうか?


左玄の死亡後、石塚左玄の訓え(石塚式食養)は左玄の長男右玄を初めとし、岡部剛雄・山根秀次郎・三井八郎次郎・など直系又は左玄の多くの弟子たちが受け継ぎました。化学的食養会を左玄死亡後は岡部剛雄が引き継ぎ、1937年(昭和12年)に桜沢如一が食養会幹事会長として食養会を担っていきました。桜沢如一は左玄の生前からの弟子でなくて左玄の死後に後藤勝次郎の紹介で石塚左玄を知ります。

桜沢如一の大きな功績はここにあると思います。素晴らしい石塚左玄の講演で食養を知っても、それを実践する人は少ないです。人は健康を得るのに偉人の話を聞いても色んな出来ない理由を挙げて実践しません。しかし桜沢
如一は過去の人・今は亡くなっている人の偉業を他人から聞いたり、本の中から健康に参考になるものを見つけだしたのです。

二つ目の功績は石塚左玄の訓えをさらにレベルアップして世界にマクロビオティックとして広めていったのです。世界に単なる「食」を広めた人は数多ありますが世界へ「食養」を広めた人の存在は探してもいないでしょう。

もし生前に桜沢如一が「石塚左玄」の弟子になっていたならば、食養運動はよりスピーディーに普及したと思います。
左玄は食養・食育は家庭教育と言っていますが正に食養を家庭教育・運動と位置付けています。せめて126年前の石塚左玄の思いをそれぞれが自分のために実践すべきと思います。石塚左玄は生まれながらの病気を持ち桜沢如一も虚弱体質の様であったからこそ、健康には真剣に食を大事にしたと思います。お二人とも健康であったならば完全な食の実践者にはならなかったとも思います。

 

Q5 各地における食育の取り組みについて

   どのような活動をされていますか?


私たちの活動は「フードへルス石塚左玄塾」の名称通り、食育活動をメインにしていますが、大きな柱にあるのは講演活動です。食に関する講演会ではまず福井県偉人としての「食育の祖 石塚左玄」の人となりを知って貰うことから始めます。「食育基本法」がもし未成立であったなら、「石塚左玄」の名前は永久に埋もれたままの可能性もあります。アンケートや挙手で「石塚左玄」の知名度を確認します。対象者によって知名度率は違いますが今は30%ぐらいです。当初は手を挙げる人は僅かでした。隔世の感を思います。

今では学校教育の中でも「食育」なる言葉を日本で初めて使ったとか、食育の重要性を訴えて、特に子どもにとって一番大事な教育は「食育」であると諭したこと等を話します。1896年(明治29年)に左玄が著した「化学的食養長寿論」で、「学童を持つ人は、躰育も智育も才育もすべて食育にあると考えるべきである」とし、体育、知育、才育の基本となるものとして「食育」の重要性を述べています。

今では福井生まれの「石塚左玄」は学校の授業として習いますから、小学生は石塚左玄の写真ともども理解されていますが、親にはかなりキツイ現状です。親にとっては子どもと違って「食」を勉強する機会もなく、食育の祖も「石塚左玄」の名も遠い関係のない事になっています。度台食育なる授業は学校教育であるとの認識であり、子どもたちが食について学校で習う事は親には関係なく、「食育基本法」も家庭の義務として挙げている事も全て学校教育としての存在であり、左玄が考えた食育は家庭教育と提唱した事とは大きく離れています。才育とは子どもにどのような才能があるかを親は把握して子どもたちにあった教育を実践することが正しい家庭教育であり、「食育」は才育などの家庭教育を含めたすべての教育の岩盤であると言っています。先生方もその認識で食育を捉えて欲しいと思いま
すし、児童の保護者も食育を自らの事に捉て欲しいと考えます。そして親が子に食育を食伝して健康的な食生活に励んで欲しい。私たちの活動は講演会などを第1に、第2として料理教室(石塚左玄の訓えに基づく)、第3に石塚左玄顕彰祭、第4に勉強会をしています。現在はコロナ禍で密になる行為は自粛が求められていたり、開催場所もいろいろ規制もあり、残念ながら停滞気味となっています。


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