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月刊「マクロビオティック」磯貝昌寛の正食医学

磯貝昌寛の正食医学

 

第106回:陰陽の思考法

 

陰陽という思考法

「入学式は坊主頭にして行こうな」長男が小学校へ入学するときにそう言ったら、シラーっとしていて何も返事をしません。

「坊主頭にすると、すごく陽性になって元気になるからな」と私が重ねて言うと「オレ、陰性が好きだ」と言うのです。

「女の子みたいに背中まで髪を伸ばしたら陰性になるぞ」と切り返すと、「オレ、やっぱり中庸がいいや」と息子。完全に一本取られました。

そんなわけで、入学式は息子の好きな髪形で行くことになったのです。

息子の口達者に成長を感じたのですが、それ以上に息子がわからないなりにも陰陽を少しは理解していることが嬉しくもありました。

陰陽は実学ですから、身近な出来事、身近な問題を陰陽で考えてみること、陰陽で感じてみることがとても大事です。そして、陰陽で判断したことを周りの人と話し合うことで思考はひと回り深く広いものとなります。私と息子の会話を聞いていた私の父が「坊主頭の方が髪が立つから陰性で、長髪は髪が下に向かうから陽性じゃないのか」と言いました。確かに、髪の毛の方向の陰陽は、坊主頭は陰性で長髪が陽性と考えられます。陰陽は固定的なものの見方ではなく、万物流転、変化と変化の重なり合いの中で複眼的な見方をします。

主頭の方が太陽光がダイレクトに注がれ、体は陽性化され、長髪はその逆となります。これも陰陽の見方です。客観的な現象の陰陽の見方がある一方、陰性のハタラキが強いのか、陽性のハタラキが強いのか、というエネルギーの陰陽の見方もあるのです。陰陽のものの見方は、簡単なようでいて難しくもあり、難しいようでいて簡単でもあります。「簡単なのか、難しいのか」問われたら、そう言うほかはないのです。

現代の学校教育によって形式論理が身についている私たちには、いわゆる禅問答のような、答えが一つでないことに強い違和感を覚えるものです。しかし、この社会や自然を見渡すと答えが一つであることはほとんどないことに気づきます。陰陽の思考法は私たちの脳を深いところで活性化させているのです。(「自然治癒力を高めるマクロビオティック基礎編( ミネルヴァ書房)」より)

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私たちは、学校や親からの教育でも答えを出すことを強いられてきた面が少なくありません。算数、国語、理科、社会など、小学生の頃からテストでは固定的な答えがあって、正解か不正解で点数が決まってくるのです。決まった答えのない、多様な考えができる自然のこと、命のことに想いを馳せるという習慣を身に着けずに青少年期を過ごした方がほとんどではないかと思うのです。

私たちは、たった一つの正解を見つけるという、命の観点からすればものすごく乱暴な教育の中で育ってきました。自然環境や自然災害、新型コロナウイルス、生活習慣病に代表される現代の様々な疾病など、答えが一つでない問題に溢れている時に、一つの答えを目指して生きてきた人たちは、どうしても後手にまわってしまいます。答えが一つでない、自然という多様性の中で揉まれて磨かれることが、生きていく上では決定的に大事なことだと思うのです。

思春期には冒険や恋愛がものすごく意味を持つものだと、私の経験からも多くの人の経験からも納得させられます。小説家であり尼僧の瀬戸内寂聴さんが「青春は革命と恋愛だ!」と言ったのは、命の観点からすると素晴らしいことです。

正解が一つでない、多様な思考を刺激する自然や命に向き合っていると、生命力は高まります。教育の根幹は、生命力を高めることです。しかし、命をぐるりと見渡すと、この世の中は高めることと低めることが対になって存在していることに気づきます。今の社会も生命力が弱まって初めて高める必要性を痛感しているわけですから、今までの教育もある意味では必然だったのです。さあ、これから、私たちはどのようにして生命力を高めていくか、オモシロイ時代に生かされているのです。

 

To be or not to be

和道には様々な人が来られます。先日も「生きるべきか見定めたい」という目的で合宿に参加した人が来られました。まだ若い30代のきれいな女性です。

シェイクスピアの悲劇「ハムレット」の中に有名なセリフがあります。

「To be or not to be. That is the question. 」

日本語訳では「生きるべきか、死ぬべきか。問題はそこだ。」といわれています( 前後の文脈から違う意見もあります)。生きるか、死ぬか。進むか、退くか。実行するか、しないか。人生はまさに選択の連続です。人生の究極的な選択に生きるか、死ぬかがあります。

数年前には「死ぬ練習をするために断食合宿に参加します」と言って和道に来た人がいました。70代の男性で、地方で事業を経営していた経営者でした。年をとったので事業を息子に継がせたかったが、その気がないので他の事業者に譲渡したと言っていました。会社の譲渡が決まって寂しくもホッとした面があったと言っていました。ところが数ヵ月後に進行性のガンが見つかったため、和道の門を叩いたのです。

死を覚悟した時、人はどんな行動をとるのか? 人生いろいろ、死に方もいろいろ。多様な人生と同じように多様な死に方があることでしょう。

師の大森英櫻は、「死はすべて自殺だ。最終的にはどんな人も納得してあの世に逝っている」と、生前よく言っていました。大森は自身で臨死体験を経験したり、生死の際に立つ人への食養指導を通して生死を深く見つめた結果の言葉だったのです。

「死にたい」という想いと「生きたい」という想いは、コインの裏と表のように、表裏一体のような気がします。一方、死を覚悟した人の想いには「○○したい」というものないのです。ただ自然に黄泉に帰る、そんな感じなのかもしれません。

もちろん、いろいろな「○○したい」を抱えて死に逝く人もたくさんいます。それでも、黄泉に帰っていくときは「○○したい」という陽性な念も消えていくと思うのです。

皆さんと同じように、私もまだ死んだことがないのでわかりませんが、あの世に旅立つ人との交わりの中から私も師と同じように「すべての人は死を受け入れている」ような気がするのです。少なくとも、食養実践者で無念な表情を残して旅立つ人はいないのです。

体の洗濯(せんたく)が成されると、心の選択(せんたく)が滞りなく進みます。どちらに行こうか悩み患うことが減ってきます。心の選択が多い時、私たちは体の洗濯も大いに必要なのです。悩みは体の洗濯を教えてくれる大変有り難いものなのです。

生きるべきか見定めたい女性も、死ぬ練習をしたい男性も、その心の裏には大きな「よりよく生きたい」というものが、隠しきれんばかりにあることを私は感じ見ます。

私は陰陽が調和した中庸を大切にしています。「自然治癒力を高めるマクロビオティック基礎編」でも中庸の大切さを説明しています。中庸を少しでも体感した時、私たちの想いや感情はどんなものになるのか?

陰陽と中庸という考えは、自分で納得できる人生を歩むために大きな道しるべになると感じるのです。

 

 

プロフィール

磯貝昌寛/いそがい まさひろ

1976年群馬県生まれ。15歳で桜沢如一「永遠の少年」「宇宙の秩序」を読み、陰陽の物差しで生きることを決意。大学在学中から大森英桜の助手を務め、石田英湾に師事。食養相談と食養講義に活躍。「マクロビオティック和道」主宰。

 

 

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