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月刊「マクロビオティック」磯貝昌寛の正食医学

磯貝昌寛の正食医学

 

第132回:食養指導録 健康はやさしい

 

健康はやさしい

何事においても経験が大事だといわれます。英国でも experience(経験)は人生で最も重きの置かれるものと考えられているようです。日本は世界で一番の伝統のある国ですが、この伝統というものの多くが師弟による継承によって保たれてきました。師弟関係もまた、経験の継承と積み重ねであるのです。食養指導もまた経験の継承と積み重ね
ではないかと思うのです。師匠から学んだ(まねた)ことを基礎として、そこから自分の経験を加味しながら一歩一歩あゆんでいくのです。

食養指導に携わって20年以上経ちます。その間、多くの人の体と心と生活をみてきました。そして、私も食養生活実践者ですから、皆さんと一緒に食養を実践してきたのです。その中でたどり着いた想いが「健康はやさしい」「健康は難しいものではない」ということです。世にあるあまたの病気の原因も、大きなところではたった一つではないかと思うのです。原因があっての結果です。

病気という結果には必ず原因があるわけです。多くの病人を見ているうちに原因がわかるようになってきたのです。

病気の人の多くは病気が現れたことを外れクジを引いてしまったような偶然の不運に思っている人が多いのですが、決してそんなことはありません。ちゃんとした原因があるのです。その多くは食や生活の間違いから起こっているのですが、そのもっと奥を見てみると、ある一つのことに行きつくのではないかと思うのです。それは、自然や命を支配・征服しようという考えではないかと思うのです。

自然を征服しようという考えは、私たちの体にも通じているのです。熱が出たら解熱剤で止めてしまおう。病原菌が繁殖したら殺菌しよう。病原ウイルスが広まったらやっつけてしまえ。自然を征服・支配しようとする思想が私たちの生活の細部にわたって、知らず知らずのうちにはびこっているのです。

しかし、私たちの体は実は自然そのものです。熱が出てきて、その熱を止めてしまったら体は辛いのです。下痢を止めたら、他の臓器に毒素がまわって腎不全を起こしたり、肝炎を起こしたりしてその他の不調が現れることもあるのです。今流行しているコロナウイルスも、怖い怖いと恐怖をあおり続けていたら不安がつのります。さらにマスクの弊害で呼吸が浅くなり、心の不調や肺の症状が出てくる人がとても多いのです。

私たちの体の自然性というものは、感性とか直感ではないかと思います。五感のすべてが本来、調和的に生きていきたい、というものです。寒ければ温かく過ごしたいと感じます。暑ければ服を脱いで涼しさを求めるのです。眠ければ眠るのです。お腹が空いたら食べるのです。これが生物であり、命です。

人間は究極のところ、自然と共生して生きていく以外にないのです。私たちの体が自然そのものですから、体から出てくる症状を制圧しても、また次に違った症状が出てくるのです。発熱を無理にとめたら、体は多くの場合、だるくなるのです。しっかり熱を出し切らなければスッキリしないのです。

コロナウイルスとも最終的には共生していく以外にないのです。私たちは自然を征服しようとして、共生の道を見つける以外になかったのかもしれません。世界で起こる多くの紛争も、自然征服思想が根本にあるのです。体の問題も世界の問題も根は一緒ではないかと思うのです。

世界各地の伝統的な生き方は自然と共生したものでした。そうでなければ何千年と続くはずがないのです。日本は特に、自然との共生に長け、自然共生の文化を育んできました。食養の歴史もまた、自然共生文化のひとつのあらわれであるのです。

 

健康はやさしい、けれど

サッカー選手がボールを足で上手に扱うのを見ていると、なんと簡単なものかと思うのですが、実際に同じようにやってみるとなかなかできないものです。足の甲でボールを蹴り上げて、地面に落とさずに何度もボールの蹴り上げを繰り返すリフティングというものがあります。見よう見まねでやってみても、はじめからプロと同じようにできることはなかなか難しい。何度も何度も繰り返しながら技を習得することでボールの扱いが上手になってきます。

健康もまた同じです。すでに健康であったり、健康になってしまえば、「健康はやさしい」という境地になります。しかし、今現在が不健康で病気を持っていたら、いかに健康になっていくことが難しいものであるかを痛感するのです。まして体が自由に動かなければ、その道のりは果てしないものに感じることでしょう。サッカーボールで上手にリフティングできるようになれば、「サッカーはやさしい」「ボールはやさしい」という心境になるのと同じに、私たちも真に健康にならなければ「健康はやさしい」という心境にならないかもしれません。

リフティングと健康を同じように論じるのは尺度が違うと反論されるかもしれません。しかし、もっと深く考えてみると、健康な赤ちゃんを産むにはお母さんや祖父母や曾祖父母などの健康的な食と生活がなくては成し遂げられるものではありません。武道やスポーツでも日々のたゆまぬ鍛錬があってはじめて上達していくように、健康もまた日々の精進があってはじめて確立するものです。

食生活に鍛錬精進を持ち込むことはできない、という人は多いのですが、それは鍛錬精進の意味をよく理解していないのです。鍛錬精進というと、どうしても難行苦行を想像します。ところが、日常の行は易行( えきぎょう・やさぎょう)と言って、誰でも簡単にできるものなのです。むしろ、誰もが簡単にできるものでなくてはならないのです。そうでないと続くものでないし、普及するものでもありません。食生活における易行の代表が、日本においては昭和30年
以前の一般的な家庭での食事であるのです。「ごはん、味噌汁、漬物」です。そして、もう一歩踏み込んで、江戸の元禄時代以前、精米技術が発達する以前の「玄米、味噌汁、漬物」になれば、鬼に金棒、日本人本来の健康が確立されてきます。

そして、易行の中から、もっと真理の探究を目指す人たちが出てくるものです。難行苦行に挑戦し、本当のこととは何かを追い求めるのです。これは、万人が行わなくてもいいのです。ごく一部の人が難行苦行を実践したらいいのです。難行苦行は、有名になるために行うものでもないし、財を蓄えるために行うものでもありません。いつか時代が難しくなった時のために力を蓄え、周りのために尽くすことができる心身を作るために行うのが難行苦行ではないかと思うのです。

難行苦行の基礎に易行がありますから、何といっても日々の易行が大切です。日々の易行の積み重ねの先に、ある人の中では難行苦行が出てくるかもしれません。難行苦行の実践者本人は、ただ易行の先を実践するだけの意識で難行苦行に感じてないかもしれません。その感覚は人それぞれでしょうから。

「健康はやさしい、けれど…」そこへ至る道は、「楽しい」ものだと思うのです。易行を基礎として、日々の易行を積み重ねていけば、難行苦行はむしろ楽しいものになってくるのです。

 

プロフィール

磯貝昌寛/いそがい まさひろ

1976年群馬県生まれ。15歳で桜沢如一「永遠の少年」「宇宙の秩序」を読み、陰陽の物差しで生きることを決意。大学在学中から大森英桜の助手を務め、石田英湾に師事。食養相談と食養講義に活躍。「マクロビオティック和道」主宰。

 

 

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