西洋で理解されにくい概念マクロビオティック思想の相対性と絶対性
月刊「マクロビオティック」2023年2月号より転載
第2回 桜沢如一研究発表大会より
2022年10月16日に開催された「第2回 桜沢如一研究発表大会」では、海外の研究者も参加し、グローバルな視点での桜沢思想の現在が議論されました。その中で特に反響があったアルゼンチンでマクロビオティックの普及・研究を行い人類学者でもあるヒメナ・アルバレス氏の研究発表をピックアップして紹介します。
今回初参加となったヒメナさんは、桜沢如一の高弟でブラジルのサンパウロで活動していた菊池富美男・ベルナルデット夫妻に師事し、2007と2020年の来日時は、当協会やマクロビオティック クッキングスクール リマで学んだ経験もあり、現在ではアルゼンチンの山間地で梅干しや漬物などをつくりながら自然に寄り添った生活を営んでいます。
今回のヒメナさんの発表は、アルゼンチンという世界でも有数の肉食大国の中で、マクロビオティックを普及していく経験から浮き彫りになった、「西洋社会で東洋哲学を理解してもらうことの難しさ」が切実に語られています。そして、それはそのまま心身ともに西洋化する日本社会でのマクロビオティックの普及においても、将来的に、いや既に現在でも直面している問題です。
現代日本でも確実にマクロビオティックを物質的、善悪二元論的、対症療法的に捉える傾向が強まっています。それは、ヒメナさんが指摘するように、絶対界(無限の世界)を忘れ、相対界(有限の世界)だけでマクロビオティックを捉えようとする西洋的な傾向です。
ぜひ今こそ、ヒメナさんの研究発表を受けて、日本でも広くマクロビオティックの本質についての議論が活発になることを期待します。
ヒメナ・アルバレスです
私はアルゼンチンでマクロビオティックの教師として活動を続けているヒメナ・アルバレスです。
この報告は、マクロビオティックの現状を日本からみるとちょうど地球の裏側に位置する国アルゼンチンから考察し、私のささやかな桜沢哲学の理解に基づいて導かれた提案を、日本の皆さんと共有し、マクロビオティックの将来について考えることを目的にしたものです。
私は、桜沢先生の教えの真髄は「無双原理」にあり、これはミレニアムの叡智の集大成であると考えています。
マクロビオティックの現状に関する考察と私の提案についてお話しする前に、まず、桜沢先生の著作「東洋医学の哲学」 の中から、私が感銘を受けた先生のメッセージを皆さんと共有させていただきます。
桜沢如一先生のメッセージ
「無双原理は、極めてシンプルで、極めて実用的なものです。誰もが理解でき、日常生活で実践できます。それは普遍的な弁証法的理論です。生命と宇宙の憲法です。極めて実用的なコンパス(羅針盤)です。」
「完全無欠の自由、永遠の幸福、絶対の正義を与えてくれる真理です。」「無双原理を持つことにより、皆さんは素晴らしいことが実現できるようになります。だから、あなたたちは小さな魔法使いなのです。」
「コンパスに基づいた生活の方向性は、『信』です。『信』とは、単なるクレド(credo quia absurdum =不合理ゆえに我信ず) ではなく、宇宙の成り立ちについて明確なビジョンを持つことを意味します。」
「東洋医学は、この最高判断力を生物学的、生理学的、論理的に開発することを学ぶ学校です。」
「もし人間が不幸であるとすれば、それは宇宙の秩序に反したからであり、最高判断力が蝕まれたからです。」
「なぜなら、マクロビオティック料理と食事は、癒しや若返りだけでなく、記憶力や判断力、ひいては自由や考え方の向上も保証してくれるからです。」
「人間(陽)は、私たちの起源である無限の大きな陰によって養われ、変容しなければなりません。私たちはこの無限をその時々に想像し、知覚しています。もし、無限が我々の起源でも、私たちの親密な性質でも、記憶でも、最高判断力でもなかったら、私たちがそれを想像することは不可能です。」
これらの桜沢先生のメッセージの美しさ・深淵さは際立っています。その手法のシンプルさと可能性の中で、先生が強調し、確信していたことを十分理解した上で、先生が私たちに遺したマクロビオティックの現状を考察し、その将来について改めて考えてみる必要があるのではないでしょうか?
先生の哲学は正確でその主張は的を射ていますが、時の流れが示している通り、一筋縄ではいかないものでもあります。
私の考察
現在のこのポスト・パンデミックな歴史的瞬間に、マクロビオティックは唯物主義(物質主義・実利主義)に傾いているのではないでしょうか?
なぜなら、私たちは「相対界」をよく理解していません。私たちは、「絶対界」に対する知識を深めることを忘れています。世界はより病んでおり、より西洋化しています。また、桜沢先生の直弟子の先生方が逝去されてからかなりの歳月が経過しています。
今日の西洋におけるマクロビオティックの相対界の知識
西洋では、二元論的な考え方と物質主義的な生活の発展の中で、マクロビオティックが教える相対界の次の要素が理解され、比較的うまく取り入れられています。
◆食べ物の陰陽分類とそのエネルギー的効果
◆中庸にある食べ物は、私たちの中心をなし、安定と自立を与え、私たちを強くしてくれること(食品の陰陽の分類で中庸の食品を食べることの重要性を説いています)
◆極陰・極陽な食品は二元性を強め、バランスを崩し、弱体化させること
◆食べ物が私たちの身体的、精神的、情緒的な健康や状態に与える影響を理解することの重要性や、私たちの性格、気質、個性との関連性
◆人と自然の一体感を理解し、季節の変化に適応していくことの大切さ
このような理解のもとで、マクロビオティックの相対界の教えを実践することにより、私たちは生活の在り方や健康状態を改善することが出来てきました。
しかし、その一方で、これらが、マクロビオティック唯物主義(実利主義)、すなわち、実践的で外的な要素に重点を置いたものである点は否めません。
その関心と実践は、次の3点に集中しています。
◆食事(毎日の食事選び)
◆調理(日常食の調理)
◆セラピー(予防型より治療重視型)
私は、西洋人がマクロビオティックの相対界の教えを理解するにあたって、食事や料理については次のような傾向があり、それがより深い理解への妨げになっていると考えています。
◆料理の「レシピ」として教える傾向
◆食べ物の「性質」を観察する傾向
◆食べ物を「良い」「悪い」で解釈する傾向
◆食べ物の治療効果を探す傾向
◆陰と陽で、二元的に分類する傾向
また、セラピー(手当て)に関しては次の傾向があります。
◆マクロビオティックを対症療法として活用する傾向(判断レベル1=物理的・機械的な判断)
症状を見て、その症状を解決するための自然食品を探す傾向があります。病気や問題の原因が見えにくくなっています。 病気を見て、病人を見ていません。
あるいは、人によっては、マクロビオティックを概念的・知性的な医学のように活用する傾向があります。(判断レベル4=理念的・知的・科学的判断)
この場合、病人をより広く観察し、生物学的・生理学的に症状の原因を解明しようとしますが、精神状態や生活環境なども含めた、ホリスティックなアプローチにはなっていません。
次の質問は、マクロビオティックを教える私が生徒さんからよく受けるものです。マクロビオティックの実践にあたっての彼らの関心と志向が端的に表れていると思います。
◆マクロビオティックでは肉/果物/コーヒーを食べてもいいですか?
◆マクロビオティックでは断食が推奨されているのですか?
◆水を飲むのは良いことですか?
◆関節炎や痔の改善、授乳のためにマクロビオティックが推奨していることを教えてください。
◆それは良いことですか? 悪いことですか?
◆それは正しいですか? 間違っていますか?
◆それは出来ますか? 出来ませんか?
◆それは健康的ですか? 不健康ですか?
このような質問を生徒さんから受けると、いつも私は「万物は相対的なものだから…」「全体をよく観察して、何が最善なのか考えていかなければならないから…」と回答せざるを得ないのです。これらの質問はすべて二元論的で標準化された考え方に基づいており、食べ物、対症療法、病気や不調の治癒に焦点を当てたものばかりです。
以上の状況から、私は現代のマクロビオティックの実践には次の特徴があると考えています。
◆主として心身の健康を志向しています。
◆生物学的、生理学的な強化を目指しています。
◆人生という船の「エンジン」にばかりに気を取られています。
◆ 短期的な成果を求める傾向があります。
◆マクロビオティックは厳格で制約の多い食事だと思われています。
◆個人主義的、唯物論的な実利主義の論理を持っています。
桜沢先生がこの状況をご覧になったら、「排他的で自己中心的な目的のために、刹那的な幸福を求めているね」とおっしゃるのではないでしょうか? その根底にあるのは、マクロビオティックを実践する次のようなモチベーションです。
◆病を治したい(西洋医学の対処療法による科学的、外科的な療法を避けるための代替医療として)
◆病気になるのを恐れている(どうやって自分の健康を維持するか?)
◆自分自身を強化したい(これが一番良いケース)
これらのモチベーションには、マクロビオティックの恩恵を受動的に受け取る、取り入れるという内向きの姿勢があり、それを象徴する典型的な問いが以下になります。
「マクロビオティックを実践すれば、より良く生きることができるのでしょうか?」
今日の西洋におけるマクロビオティックの絶対界の知識
今日の西洋で、マクロビオティックの絶対界の知識は、ほとんど意識されておらず、大きな空白になっています。
絶対性は相対性の裏返しであり、西洋では忘れられつつある概念です。絶対界、精神的な世界、そして無限との統合を知ることが、私たちの存在(人生、船)の羅針盤であり、マクロビオティックの実践の真の意味であるはずです。
絶対性へのアプローチには次のようなことを考える必要があります。
◆無双原理に従い、マクロビオティックを論理的・哲学的に強化する方向性を示す。
◆短期的な成果だけでなく、長期的な成果を求める。
◆利他的なロジックが必要。
◆桜沢先生はマクロビオティックを、すべての病気を治す至高の薬、創造的な薬、スピリチュアルな薬と考えています。
◆最高の判断、真の幸福、信の道
桜沢先生は、「病気とは全く逆の方向に生理的なプロセスを積み上げ、肉体よりも精神性を構築する努力をしなければならない。」とおっしゃっています。つまり、これは無双原理の理論と絶対界の知に基づくものです。
私からの提案
私たちは、マクロビオティックの純粋で健全で深い動機であり、主たる教えである「絶対界」に立ち戻らなければならないのではないでしょうか?
なぜなら、無双原理の相対界の知識と実践だけでは十分ではありません。よく食べるだけでは、私たちの内面の変化を保証することはできません。
桜沢先生は、マクロビオティックをヨガとして、精神的に自らを成長させ、自己実現、完全性、無限とのつながりを達成するための方法として説きました。マクロビオティックの超越的なプロセスを、自己変革やこの「内なる」部分の開発に向けて定着させるための指針が、相対界の方向性には欠けているのです。
桜沢先生がおっしゃったように、幸福や正義や自由は与えられるものではなく、自分の中に、自分のために、鉄の意志と決意で求めていかなければならないのです。玄米をよく噛んでもこの境地には機械的に至ることはできないのです。
マクロビオティックの実践は、私たちがより良い人間になるために、どのように役立つのでしょうか?
◆判断のレベルを上げるために?
◆垂直方向に成長するために?
◆天と地の統一を実現するために?
◆覚醒を遂げるために?
◆私たちの信の目覚め、知恵の目覚め、さらには悟りの目覚めのために?
私たちの内なる姿勢と態度は、次のようになります。
「マクロビオティックに、そして世界に、私たちの可能性を最大限に引き出し、最高のバージョンを提供するために」
まとめ
現在、世界ではマクロビオティックの西洋化の時代が進んでいます。マクロビオティックの指導では、癒しの必要性の高さ、理解の難しさ、判断力の低さから、実践的、物質的な側面が中心になっています。しかし、人間を真の進化、垂直的な超越の道に導くためには、マクロビオティックの道の深い動機とその精神的な教えの論理を強調し、焦点を絞って再伝達する努力が必要ではないでしょうか?
桜沢先生の貴重な遺産を近視眼的に矮小化するのではなく、絶対者、神、大自然、タオ、天の国との一体化のために、マクロビオティックの思想が持つ変革の可能性をすべて還元すべきではないでしょうか?
先生も生徒も、自分の「内なる部分」、つまり最高判断力の開発に取り組むことが、現代の課題だと思います。
桜沢先生がおっしゃったように、無限への「狭き門」に立ち向かい、くぐり抜ける勇気を持とうではありませんか。そのことを忘れずに、マクロビオティックの実践と指導の中で、その目覚めを実現させようではありませんか。
「狭き門がある。しかし、その小さな門をくぐれば、そこには無限の自由、永遠の至福、絶対的な正義があるのです」
桜沢如一著「東洋医学の哲学」より
マクロビオティックの将来を考える
マクロビオティックの現状の中で、相対界の教えをどのように改善すればよいのでしょうか。マクロビオティックの実践の中で、絶対界の教えをどのように取り入れていけばよいでしょうか。マクロビオティック本来の深みへの到達と高みへの飛行が実現できるようにするために。
【参考】
「東洋医学の哲学」スペイン語版
Goerges Ohsawa, La Filosofía de la Medicina de Extremo Oriente :: el libro del Juicio Supremo Publicaciones GEA Maldonado (Uruguay), 1995
「credo quia absurdum =不条理ゆえに我信ず」
※たとえ不条理であっても信ずるがゆえに信ずる、理解なくして信ずることを意味する。
(翻訳:桜沢如一資料室 村井 友子)
プロフィール
Jimena Alvarez
長年にわたり、母国アルゼンチンでマクロビオティック料理を教えている。ブエノスアイレス大学で文化人類学を学ぶ。1997年から2年間、アジアを旅し、その際、日本に3ヵ月間滞在する。1999年、アルゼンチンの著名なマクロビオティック指導者ホセ・ルイス・マルティネスの手ほどきにより、マクロビオティックの実践を開始する。梅干し、漬物、蓮根、ハブ茶、ふりかけなど、自然との触れ合いを大切にしたマクロビオティックの生産活動を、山間地で展開する。長年、ブラジル・サンパウロのムソースクールに通い、菊池富美男・ベルナルデット夫妻からマクロビオティック療法と料理を学び、南米各地にあるマクロビオティックのセンターを訪ね歩いた。2007年に2度目の来日を果たす。3ヵ月間、日本CI協会で、マクロビオティック料理を学び、マクロビオティックの知識を深める。また、マクロビオティックと同時期に学び始めた日本のヒーリングアート、レイキを京都の伝統的なスクールで学び、知識を深める。2020年2月に再び日本に滞在して経験を深め、マクロビオティックを周囲に広め続けるためのインスピレーションを得る。現在は、生活拠点であるロス・オルニジョスに自然保護区を作り、原生林や流域などの自然環境と絶滅の危機にある生物多様性の回復支援運動も推進している。
- 投稿者: ci-kyokai
- 哲学, 月刊マクロビオティック