1945年(昭20) | 12月 桜沢如一により現在の日本CI協会の母体となる「真生活協同組合」が設立される。 |
1946年(昭21) | 4月 神奈川県厚木市に横浜勤労大学(YLC)を創設。 |
1947年(昭22) | 世界政府協会を設立。機関誌『世界政府』発行。理論誌『COMPAS』、健康・正食医学の雑誌『SANA』(いずれも月刊)を発行。真生活運動の会を真生活協会とし、センターをMI(Maison Ignoramus)と呼び、多数の青年男女を集める。事業部では、戦前の食養会以来の食物療法食品・純正自然食品の頒布にあたった。自然食品センターの第一号であるこの事業部は1969年(昭44)にオーサワジャパン(株)となる。 |
1948年(昭23 | 「MI塾」(メゾン・イグノラムス)を横浜市に設立。機関誌発行。 |
1949年(昭24) | この年以降、数次にわたり海外へ多数の青年男女を送り出す。 |
1953年(昭28) | 天野慶之が日本で初めて食品添加物の有害性を警告した『五色の毒』を当協会から出版。(序文:平塚らいてう、あとがき:丸山博)同年10月、講演と著述のため、インドを皮切りにアフリカ・欧米各国を夫妻で巡遊。 |
1954年(昭29) | 「MI塾」横浜から東京都渋谷区に移転。インドに「無双原理講研所」(PUI)を創設。その後ヨーロッパに渡り、講演等の普及活動を行い、多くのマクロビオティック実践者を得る。 |
1955年(昭30) | アフリカへ渡り、シュバイツァー博士と会見、正食と東洋医学を説く。現地で『東洋医学の哲学』執筆。(同書はその後、日、英、仏、独、伊、ブラジル、スペイン、ベトナムで翻訳出版されている) |
1957年(昭32) | 協会名を「日本CI協会」に変更。機関誌「SEKAI SEIHU」から「新しき世界へ」に変更。8月、財団法人「無双原理講研所世界本部」をパリに設立。 |
1964年(昭39) | 東京都世田谷区に移転。 |
1965年(昭40) | 4月、里真夫人が校長となり、マクロビオティックの料理教室「リマ・クッキングアカデミー」(現「リマ・クッキングスクール」)を開校。 |
1966年(昭41) | 4月24日、桜沢如一没。里真夫人が会長に就任。7・8月桜沢の遺業「世界精神文化オリンピック大会」を開催。 |
1971年(昭46) | 桜沢里真が食養料理の百科事典『マクロビオティック料理』出版、再版を重ねる。 |
1972年(昭47) | 塩の品質の調査研究を目的として「食用塩調査会」発足、会長に牛尾盛保医学博士就任。 |
1973年(昭48) | 東京都中野区に移転。9月桜沢生誕80年記念号発行。 |
1974年(昭49) | 東京都渋谷区に移転。 |
1986年(昭61) | 桜沢如一没後20周年記念祭開催。桜沢里真先生米寿パーティ開催。 |
1990年(平2) | (株)リマコーポレーション設立。 |
1993年(平5) | 9月桜沢如一生誕百周年記念号発行。 |
1995年(平7) | 4月『新しき世界へ』から『Macrobiotique』へ変更。 |
1996年(平8) | 1月『Macrobiotique』誌700号記念号発行。協会創設50周年祝賀会開催。 |
1999年(平11) | 11月桜沢里真逝去。享年100歳。 |
2000年(平12) | マクロビオティック顕彰碑を建立。 |
2006年(平18) | 4月桜沢如一没後40年企画「マクロビオティックの食・農・医」開催。 |
2010年(平22) | 4月リマ・クッキングスクール新宿校開校。 |
2011年(平23) | 11月マクロビオティック医学シンポジウム開催(基調講演:日本綜合医学会会長 渡邊昌、島村トータル・ケア・クリニック院長・理事長 島村善行)。 |
2012年(平24) | 9月『Macrobiotique』誌900号記念号発刊。 |
2013年(平25) | 5月、マクロビオティックカフェ「LIMA CAFE」開店(東京都渋谷区)。12月、東京都目黒区に移転。マクロビティックレストラン「Cuisine et Sante LIMA」開店(東京都目黒区) |
2015年(平27) | クッキングスクール開校50周年記念パーティー開催。『Macrobiotique』誌70周年記念号発刊(937号)。11月、「リマクッキング500レシピ」発行。 |
History
沿革
日本CI協会の歩み
日本CI協会は、1945年に桜沢如一により設立された「真生活協同組合」を母体とし、75年の歴史あるマクロビオティックの普及団体です。