桜沢如一(さくらざわ ゆきかず)
※如一は「ゆきかず」(通称「じょいち」や「にょいち」とも呼ばれる)と読み、海外ではジョージ・オーサワ(George Ohsawa)として知られます。
1893年 | 10月18日、京都市に生まれる。 |
1908年 | 肺・腸結核など多くの病気で苦しむ。 |
1912年 | 石塚左玄の食養により健康を奪回。 |
1913年 | 苦学しつつ京都府立第一商業高校卒。神戸の貿易商店に入店、実業界に活躍しながら食養運動、ローマ字運動を続ける。 |
1927年 | 社団法人「食養会」復興に専心。 |
1929年 | 「無双原理」世界観を世界に問うため、パリへ無銭旅行。以後毎年帰朝、真の人間革命、平和のため論陣をはる。 |
1938~40年 | 食養会会長。会員一万人。 |
1940年 | 大津に「無双原理講究所」開設。 |
1941~45年 | 反戦平和のため努力。 |
1947年~ | 世界政府運動、青年教育に奮闘。 |
1953年 | 世界の人間革命のため、里真夫人とともに、まずインドへ。 |
1955年 | 東洋医学の真髄を示すため、アフリカのシュバイツァー博士を訪ねる。 |
1956年~ | ヨーロッパで大活躍。多数の協力者、共鳴者を得、文化活動、出版、食品製造等に着手。パリ市功労章を受く。 |
1962年~ | 原子転換に着目、研究を開始。 |
1966年 | 永遠の世界に出発。(享年74歳)遺業の世界精神文化オリンピック開催。 |
桜沢里真(さくらざわ りま)
1899年 | 4月17日、山梨県に生まれる。 |
1915年 | 和洋裁縫女学校卒業。御茶ノ水高師にて料理研究。12,3歳ごろより茶道・華道・琴・三味線・手芸など習得。その間病気がちだった。 |
1936年 | 桜沢如一(GO)の講演を聞いて感激、食養会に入会、食養に励み、健康をとりもどす。 |
1938年 | 桜沢と結婚し、食養の研究を続ける。夫の研究に協力。 |
1953年 | 「食養料理法」を夫:桜沢如一と共著で出版、享年まで毎年、版を重ねた。 同年、夫:桜沢如一と共に無双原理宣布のための長期世界旅行に出発。まずインドへ。2年間滞在。同地の料理を研究。食養料理の講習を数十回おこなう。 |
1955年 | 夫と共にアフリカを横断し、ランバレーネのシュバイツァー病院を訪ね、料理の手伝い奉仕。 |
1956年 | ヨーロッパにわたり、夫の助手として、ベルギー、フランス、ドイツ、スエーデン、のちアメリカ、ブラジル諸国で料理指導、講習、各地で開催したPU大学で料理主任を務める。 |
1966年 | 夫:桜沢如一死去。日本CI協会会長に就任。 遺業の世界精神文化オリンピック大会を日本で開催。大会総裁を務める。 |
1968年 | 第二回精神文化オリンピック大会パリ大会に日本人87名とともに参加。 |
1970年 | 東京都渋谷区の大山町に移転。(現:日本CI・リマクッキングスクール) |
1971年 | 「マクロビオティック料理」を出版。 |
1974年 | 同書を元にした英語版の料理書、「The of just cooking」をオータム・プレス社より出版。 東京渋谷区に移転後、東北沢リマクッキングアカデミー(現:リマクッキングスクール)にてマクロビオティック料理の指導を毎週つづけ、多数の料理指導者を育成。各地で講演、講習などをおこなう。 欧米などへのマクロビオティック・グループの旅行の団長を勤め、諸外国での行事に参加し、運動の展開に意欲的に活動した。 |
1999年 | 死去(享年100歳) |