【第20回】資料で振り返る桜沢如一の思想と生涯
※月刊「マクロビオティック」2022年8月号より転載
※第27回以降は「マクロビオティック ジャーナル」にて連載中
第20回:中年期⑤
ナビゲーター:高桑智雄(桜沢如一資料室室長) 協力:斎藤武次、安藤耀顔
無双原理講究所の機関誌「むすび」
今回紹介する資料は、1942( 昭和17年)7月に発行された無双原理講究所の機関誌「むすび」第76号です。
「むすび」は、1936年( 昭和11年)に創刊された小冊子で、食養会が発行する雑誌「食養」の別冊として毎月発行されていました。おそらく「食養」では表現しきれない自身の思想展開や活動を表現する媒体として、桜沢が中心となって編集されていたものと思われます。
1939年( 昭和14年)に実質的に食養会の運動から退き、無双原理講究所を設立する際には、この「むすび」を講究所の機関誌として引き継ぐことを食養会に確約しています。その後、食養会の嫌がらせ( あくまで桜沢の見解)で、一旦廃刊まで追いやられますが、なんとか再刊し、1946年(昭和21年)の終戦の頃までの10年間発行されたとされています。残念ながら資料室には、第76号から95号までしか保存されておらず、食養会時代の別冊の内容や終戦間際の発行形態は確認ができないので、その全貌は明らかになっていません。しかし、終戦後、「コンパ」「世界政府」「サーナ」と立て続けに発刊された定期刊行物は、リアルタイムで情報発信する桜沢の陽性な運動の柱であり、その原点がこの「むすび」であり、その欠番資料の収集と内容の検証は今後の大きな課題となります。
ほぼ全面が桜沢ワールドの誌面
76号の内容を見てみると、まずはメインコンテンツである桜沢の巻頭コラム「時計と人間」が掲載され、2ページに渡る「ゆきかず通信」は一ヵ月の桜沢の動静、「心の食堂」は桜沢の読んだ本の書評、そして桜沢指導、森山シマ作の一ヵ月の「戦時健康献立」。もちろん、その他会員の情報や体験談なども掲載されていますが、その感想や返事も桜沢が答えるという、ほぼ全面が桜沢通信、今風に言えばかなり「オレオレ」な内容となっています。
その中で興味深いのが、戦争の最中、桜沢が会員たちにどんな食事を提案していたかがわかる「戦時健康献立」です。基本一日、朝(午前11時)と夕(午後5時)の2食の献立ですが、例えば1日( 水)の献立は朝「にしん入外米がゆ、梅干し」、夕「外米御飯、さつま汁( 鮭あたま入り)」、2日(木)は朝「にら入外米がゆ、塩昆布」、夕「五目御飯、清汁=若布と小魚」、3日( 金)は朝「外米だんご入すいとん汁」、夕「魚あらと野草汁」、4日( 土)は朝「外米御幣餅」、夕「どぜう汁」というように、結構な頻度で動物性が入っていることが分かります。
これは献立に続く料理解説でその理由がわかるのですが、当時手に入るお米は、東南アジアなどから輸入されていて、それら外米は大変陰性であったため、その害を消すため陽性な動物性食品を使うことが解説されています。「むすび」に毎回掲載される「戦時健康献立」は、配給などで手に入る食料が限定される中で、どのように工夫して健康を確立して行くかが提案されるとても貴重な資料と言えます。
桜沢の戦争観と「むすび」
この頃から桜沢は反戦活動へと進んでいくのですが、「むすび」の内容を検証すると、明らかに桜沢の反戦活動が、単なる平和主義ではないことが分かります。例えば1942( 昭和17年)12月号の「むすび」81号では「あくまで勝つ意志! 戦闘的世界観の徹底」という巻頭コラムを書いています。
その中で桜沢は、佐藤信淵(1769年~1850年)という幕末の思想家を取り上げ、信淵がその著作「宇内混同秘策」で語った、「かけまくもかしこき産霊(むすび)の神教は世界万国の蒼生を救済すべき経済の大典なり」という予言に対し、桜沢は「この『むすびの原理』を現代の世界語人種にも分かる様な簡素な体系に翻訳したのが無双原理であるが、その一応用としての正しき食生活法」であるとし、その食生活法を実践すれば、国民翼賛運動強力展開の「3目標( ①戦時精神の昂揚、②生産増強の決行、③戦争生活実践の徹底)」が達成されるとします。
つまり、「正しき食生活」を実践すれば、「食正しければ人も正し」の原則により①の目標は自然に達成し、いかなる増産運動よりも確実に食糧の三割以上の余剰を作って②を解決し、否が応でも健康を増進するので③の目標も容易に実現すると言うのです。つまり桜沢は、まず第一に戦争に勝つためには正しき食生活の徹底が必要であり、第二にその正しき食生活の徹底がなければ必ず負けるので、戦争はしてはいけないというあくまで食養理論からの「反戦」であったという視点がとても重要です。
また桜沢思想研究家の安藤耀顔氏が指摘するように、桜沢がよく使う「むすび」という言葉にも注意が必要です。信淵は、「皇大御国は大地の最初に成れる国にして世界万国の根本なり。故に能く根本を経緯するときは、則ち全世界悉く郡県と為すべく、万国の君長皆臣僕と為すべし」という、過激な日本至上主義を唱え、大東亜共栄圏構想の父ともされた人物です。
桜沢の「むすびの原理」は、信淵のいう「産霊の神教」から発想しているならば、東西対等の平和的な「むすび」ではなく、激しいぶつかり合いの中で、日本の精神文明が西洋の物質文明の上に立つという陰と陽の上下関係がはっきりした「むすび」であることに着目する必要があります。
桜沢の警告とは逆に正しき食生活の実践をおろそかにし、日本精神ではなく西洋精神の手法である物質的な武力闘争のみに陥っていく日本を見て、必ず負ける戦争はしてはいけないという思いで桜沢が反戦活動に転じて行く流れは、桜沢思想を読み解く上でとても重要な論点と言えます。
著者プロフィール
高桑智雄/たかくわ・ともお
桜沢如一資料室室長。
1970年生まれ。2001年に日本CI協会に入社し、桜沢如一の陰陽哲学に感銘を受ける。
故・大森英櫻のアシスタントを担当した後、2011年より桜沢如一資料室の立上げ、運営に携わる。2023年より電子雑誌「季刊マクロビオティックジャーナル編集長に就任。
編集・執筆に「マクロビオティックの陰陽がわかる本」「マクロビオティックムーブメント」」など。2015年発行の人気書籍「マクロビオティックの陰陽がわかる本」の編集者であり、 月刊マクロビオティック・コラム「Café de Ignoramus」連載中。