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【ジャーナルWEB公開記事】日本人の食と霊性 第2回|ひとの残虐性と難民

第2回|ひとの残虐性と難民 渡邊 昌

私は大学を卒業後、病理学の大学院に進み、23年間病理医として働いた。

病理は病気の原因や成り立ちを調べる学問であるが、病理医は主として病院で働き、ヒトを対象に病理診断や病理解剖をおこなう。病理を選んだのは医者の中でも「上医」を目指そう、という気持ちがあったからだ。上医とは中国の六朝時代の陳延之の著書「小品方」に「上医医国、中医医民、下医医病」の記載があり、唐代の千金方にもその思想は引き継がれ日本に伝わった考えで、国を救える医師ということだ。今は病気ばかり診て患者を救える医師も少なくなった。

病理医の生活はほとんど病院暮らし、忙しいときは霊安室の小部屋に泊まり込んだりもしたが、2,000体近い死体を解剖し、死に至る道筋を明らかにすることはポアロやホームズのような探偵気分になるものであった。死んだ本人だけでなく、家族やそれまでの生活もすべて死に集約してくるものであり、病理医は死者の代弁者であり、もっとも死人に近い医者であったともいえる。今は解剖までしなくてもCTで内臓は判るからいいや、という風潮があり、解剖数は著しく減っている。CT では死者の怨念のようなものまでは感じられまい。

80歳にもなってみると、世の中には幸福な家族と、どうしてこんなに不幸なことが重なるのだろうと不審に思えるほどの不幸な家族があることに気付く。幸福な家族は90歳過ぎまで夫婦で働き、食うに困らず、子どもも自立して孫たちに囲まれて暮らす家族で、世にい毀誉褒貶にはあまり関わらない。そして多くの人は大往生を遂げる。不幸な家族は社長とか、頭取とか、名誉職に就きながら子どもが早逝したり、主人が死んだあと家族の生活も苦しくなって、自宅を売って老健施設に入ったりして社会から消えていくような人たちだ。

これは運命としか言いようがない。あるいは輪廻やご先祖様のおかげがあるのかもしれない。私たちの世代は第二次世界大戦を体験した最後の世代だ。私は平壌から引き揚げてきたが、父はわりに手広く商売をしていたので、毎日満州から引き揚げてくる人たちに寝食をふるまうことができた。それもロシア兵が進駐してくるまでだった。数人ずつで押し入ってくるロシア兵はまず腕時計などを欲しがったが、そのうちなんでも略奪し、暴行、凌辱も当たり前になった。先鋒隊の彼らはコサックや囚人兵だったというから、今のウクライナ兵ということになる。スラブ民族の残忍性というようなものがあるのかもしれない。

ウクライナに攻め込んだプーチンの短絡的な行動は近親憎悪みたいなものであろうか。13世紀に成立したリトアニア大公国は現在のバルト3国やウクライナ、ベラルーシ、ロシア西部を支配し、ポーランドまで併合していた。これにはチンギス・ハンの孫、バトゥに率いられたモンゴル人がロシアからウクライナにかけてキプチャク・ハン国を築き、ロシアを越えてリトアニア大公国に結合していったことが大きな軍事力となった。このような連中を相手にするのは容易でないであろう。

今のウクライナにはかなりの外国人部隊がはいっているようだが、中でもチェチェン人の部隊は1,000人を超えるという。義勇兵のほとんどは第2次チェチェン戦争を体験した元兵士や父親をロシア軍に殺された子弟らで、恨みは深い。プーチン時代の初期にチェチェン独立派はモスクワで地下鉄や劇場、コンサート会場などで大規模なテロ活動を行い、市民を恐怖に陥れたが、プーチンはチェチェン掃討作戦で20万人のチェチェン人を殺害、大統領に上り詰めたのであるから因縁の闘いとなっている。

どうも私たちは自分と異なるものをなかなか受け入れられないようだ。特に異民族への恐怖ははるか昔の記憶まで呼び起こされるのだろう。これは脳の一番深いところに刷り込まれ、理性で抑え難いところだ。これはヘイト(憎悪)の感情でもある。生きるために他人から奪う。生きるために他人を殺す、といったことに歯止めのきかない人が増えている。極端な場合には楽しみのために殺したり、単に自分の優越性を示すために殺す場合もあろう。関東大震災の際に朝鮮人を自警団が無差別に殺した事件なども記憶に残る。

私は若い頃に悪性リンパ腫の研究でケニア、ウガンダに3ヵ月ほど滞在したことがある。自分より大きく真っ黒な人たちに囲まれて暮らすのはなかなかに緊張を強いられる生活であった。しかし、ある日、夕陽に浮かぶように子どもと手を繋いだ父親が畑のあぜ道を歩く姿を見て、ああこの人もきっと妻や子どもの待つ家庭に帰るのだ、と思ったら親近感が湧いて恐怖感が消えたのである。

歴史の中で起きた民族大移動は、気候の変化で農業ができなくなったことが原因となっている。「人も國も食の上に立つ」のだが、それができなくなった時に流民化する。地球温暖化は待ったなしで進んでいる。今年の夏は中近東やインドで45℃にも達する高温が続いた。

食糧が採れなくなったら大量の難民が発生するであろう。日本は島国のおかげで大量の難民を受け入れたのは弥生時代から奈良時代くらいまでしかなく、日本人にうまく同化してきた。数10万人あるいはさらに大規模な難民を受け入れるようなことがこれから起きたらどうするのか、日本人の知恵と霊性が問われる。

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著者プロフィール

渡邊 昌/わたなべ しょう
1941年生まれ。慶応義塾大学医学部卒。米国がん研究所、国立がんセンター研究所疫学部長、東京農業大学教授、国立健康・栄養研究所理事長を歴任。生命科学振興会 理事長として、「医と食」「ライフサイエンス」発刊。現在、(一社)メディカルライス協会理事長として「治未病」を目指す。

渡邊 昌

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