【ジャーナルWEB公開記事】2023年冬号「提言」波多野 毅
身土不二(しんどふじ)と身土不二(しんどふに)の相補性
一般社団法人TAO塾
波多野 毅
「身土不二」という言葉は本来、仏典にあった言葉だが、それは、社会、世の中は人間が作ったものであり、人と一体のものであるという意味である。自分の反映が社会であり世の中であるという見方である。食養の「身土不二」は、「しんどふじ」と読んだが、仏教でいうところの「身土不二」は「しんどふに」と発音を異にする。また、その意味も異なり、食養の「身土不二」(しんどふじ)の「身」が身体、「土」が風土を表すのに対し、仏教の「身土不二」(しんどふに)の「身」は自己、「土」は社会を意味する。
石塚左玄の提唱した「食養」の理論的支柱の一つである「身土不二」(しんどふじ)を、健康改善ばかりでなく、行き過ぎたグローバリゼーションの「構造的暴力」に対抗するローカリゼーションムーブメントの理論的根拠になる概念として位置付けるとともに、医食同源をさらに一歩進め健康の基本は食、そしてその食を支えるのが農であるということを重視し「医食農同源」という考えを著書「医食農同源の論理~ひとつらなりのいのち(南方新社)」で提唱した。
さらに、食養論の「身土不二」の語源が仏教書の中にみられる「身土不二」(しんどふに)にあったことに注目し、自己の心のあり方が社会に反映するという見方が真の紛争解決につながる当事者意識を生み出す鍵となることを論じた。食養論の「身土不二」、精神論の「身土不二」の二つの見方は相補的であり、ローカリゼーションの推進とインナーピースの探求の両方を目指すことが、社会の真の平和をもたらすという構造が観えてきた。また、食養の背景にある「東洋医学の健康観」の「未病」を防ぐ予防学的なあり方や、病気を「悪」と捉えず健康改善への「契機」と観る姿勢は、紛争変容・平和構築を考えていく中で大きなヒントを与えてくれている。
「身土不二」(しんどふじ)の視点に立つとき、自己の体を作る食というものと環境というものが一体として把握され、「身土不二」(しんどふに)の視点に立つとき、自己の心のあり方と社会とが一体として把握される。筆者は、この「身土不二」(しんどふじ)と「身土不二」(しんどふに)の二つの視点を持つことが平和構築への鍵ではないかと考える。
ここで、筆者の住む熊本県で起きた大きな紛争である「水俣病事件」を例にあげて論じてみたい。水俣病は、化学工業会社であるチッソの水銀を含む工場排水をプランクトン類が吸収し、食物連鎖で生物濃縮して高濃度となったメチル水銀を含む魚介類を食べた水俣湾付近の漁民らが、中枢神経障害を起こすメチル水銀中毒になった公害病である。事件発生以来70年、多数の被害者を出し、数多くの裁判が行われて来たが、いまだ完全なる解決には至っていない。
ここで、筆者が注目したのが、長年、「水俣病闘争」の中で、企業と国に対して戦ってきた緒方正人が最終的に行きついた心境が「チッソは私だった」というものであることだった。6歳で父親を水俣病で失くした緒方は、東京のチッソ本社、環境庁、熊本県庁そして裁判所へ何百回も足を運んで10年以上にわたり体を張った闘争に身を置いたが、いつしか「もし自分がチッソの中にいたら」と問いかけるようになった。それは、被害者として正義&善の立場に安住していた時には思いもしなかった問いの発生であり、内省の訪れであったという。そして、「自分は絶対に同じ事をしないという根拠がない」と思い至るようになる。また消費者が安易で便利な農薬・化学肥料・ビニールを求めたことの延長に水俣病が存在している事実。それこそが、被害者VS加害者といった図式を超える深い当事者意識であり、世に起こっている全ての事象(社会)が自分自身(自己)の投影であるという身土不二(しんどふに)の意識・態度であろう。
もうひとつ例に挙げたいのが、筆者が体験した「福島第一原発事故」を題材にしたプロセスワークである。プロセス指向心理学の創始者であるアーノルド・ミンデル(ArnoldMindell)の直弟子にあたる教授が熊本大学で、原発をテーマにしたワークショップを開催、筆者もこれに参加した。一般的には、いわゆる「原発問題」に関して、政府や東電を加害者、被災者を被害者とする二元論的な見方に捉えがちだが、このワークショップでは、参加者が当時の首相や幹事長、東電の社長、社員、もしくは反原発の市民団体、子どもを持つ主婦といった様々な立場の役割を演じて、ロールプレイングを行い、しかも役割を途中で交代するということも行った。自分がそれぞれの立場に立った上で、この問題をどう捉えるかという視点で真剣に考えると、誰が加害者で、誰が被害者であるか、誰が善で誰が悪だと言い切れない感覚に包まれて来たのだった。
ロールには、さらに未来の子ども達、長老、福島第一原発の精霊といった現実にはいない役柄も登場し、事態を全体的あるいは俯瞰的に見たりする感覚も芽生えていった。ワークショップの最後の方では、多くの参加者が、単に政府や東電を責める感覚ではなく、起こっている現象の全部を「我がこと」として見ていこうとする感覚が生まれ、誰も責められない、自分たちの生き方自体がこの原発問題を引き起こしていると実感する事が出来た貴重な体験であった。
資本主義、市場経済、拝金思想が生んだ環境破壊、金融システムの崩壊は、今後国家破綻をも産んでいくような勢いだが、我々を取り巻く現象の世界は、我々の心の内面のエゴの投射なのかもしれない。環境破壊も戦争も究極的には我々の意識が生んだものだといえるだろう。世界平和をいくら願っても、自他を別々に観る意識では結局はエゴを守ろうとする想いに操られるだろう。全ての責任を自らに見出す「我がこと」の意識こそ、「奪い合い・争い合い」の世界から「与え合い・分ち合い」の世界への転換の鍵に思える。
筆者は、食を通じて風土・環境を身体に取り込む「身土不二」(しんどふじ)の理念に立った医食農同源及びローカリゼーションの推進とともに、自己を取り巻く社会は自己の内面の投射であると自覚できる「身土不二」(しんどふに)の精神探求の行の二つが、平和構築のために必要な相補的な概念だと考える。
著者プロフィール
波多野 毅/はたの たけし
1962年熊本県生まれ。一般社団法人TAO 塾代表理事。食エコロジスト。熊本大学特別講師。祖母の死がきっかけで東洋哲学•東洋医学に興味を持つ。鍼灸指圧を東洋鍼灸専門学校にて、食養を日本CI協会、正食協会にて学び、93~94年米国のマクロビオティック教育機関Kushi Instituteにスタッフとして勤務。94年故郷にUターンしてTAO塾を創設。日本CI協会、Kushi Institute Japan、正食協会、同志社大学、西日本工業大学、熊本大学等で特別講師等を歴任。現在、自然豊かな阿蘇を拠点に農的生活をしながらTAOリトリートセンターを経営し、精力的に講演・執筆活動を展開している。著書に「東洋医学の哲学 桜沢如一のコトバに学ぶ人生を変える70のヒント」「自遊人の羅針盤〜東洋医学の智慧に学ぶ」(以上TAOコミュニケーションズ)「医食農同源の論理〜ひとつらなりのいのち」(南方新社)等。
一般社団法人TAO 塾
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