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【第18回】資料で振り返る桜沢如一の思想と生涯

※月刊「マクロビオティック」2022年6月号より転載
※第27回以降は「マクロビオティック ジャーナル」にて連載中

第18回:中年期③

ナビゲーター:高桑智雄(桜沢如一資料室室長) 協力:斎藤武次、安藤耀顔

後世物議を醸すヒトラーを称賛する問題の書

今回紹介する資料は、1940年(昭和15年)8月に発表された「戦争に勝つ食べ物」と1941年(昭和16年)6月に発表された「健康戦線の第一線に立ちて」の2書の表紙です。1941年( 昭和16年)12月に日本海軍が真珠湾攻撃を行い、ついに米国との太平洋戦争が勃発する時代を象徴するかのような戦時色の強い表紙となっているこの2書は、後世の桜沢研究において物議を醸す問題の書とされてきました。


なぜなら、桜沢はこの2書で、「戦争に勝つ食べ物」の表紙にも描かれているナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラー(1889年~1945年)を大絶賛しているのです。なぜ、桜沢は人類史上最悪のユダヤ人大虐殺であるホロコーストを引き起こし、後世人類の敵とされたヒトラーを称賛したのか? この問題は現代において、特に西欧社会ではとてもセンシティブに扱われる話題であり、桜沢研究においては当時の欧州の状況や時系列、そして桜沢がヒトラーの何を称賛したのかを慎重に、そして冷静に検証することが大切です。また今後の研究においてこの問題をあえて避けて通ることは、桜沢にヒトラーと同様の人種差別主義、反ユダヤ主義のレッテルを貼られてしまい、西欧社会からマクロビオティック思想が排除されてしまう可能性も孕んでいるのです。

ダレの「血と土」と身土不二

桜沢のこの頃の食養普及の戦略は、大量殺戮兵器による壮絶な世界的総力戦に勝ち残るために一番大切なものは国民の健康であり、その健康の元は食物であるという論法でした。「健康戦線の第一線に立ちて」では列強諸国民の健康状態を分析し、すべての国の健康戦線が危機に瀕していることを訴えます。その中で、第一次世界大戦で大敗北したドイツは、1933年(昭和8年)にヒトラーのナチス・ドイツが政権を奪取すると、英米の動物性中心の近代栄養学に根ざし、他国からの収奪を基本とした食糧政策を転換し、菜食を中心に自国の土地に根ざした食物こそ健康な兵士を育てるとした食糧政策を打ち出し、欧州で大進撃を開始します。そして、そのイデオロギーの中心にいたのが、ヒトラー内閣の食糧農業大臣であったリヒャルト・ヴァルター・ダレ(1895年~1953年)でした。畜産と農学を学び、実際に農業に従事していたダレは、1930年に「血と土」を発表し、土地と人間の長期にわたる相互関係を説き、ヒトラーに重用され、ナチスは、自然療法医の保護、反タバコ政策、有機農業政策や国を挙げてのがん検診の推進など先進的な健康政策を次々と行っていきました。

桜沢はこのダレの「血と土」を日本の「身土不二」の思想のドイツ版として高く評価し、ヒトラーの食糧政策の大転換を絶賛し、ナチスの大躍進はその政策の成果であると声高に主張したのでした。しかし、ヒトラーの食糧政策は結局のところアーリア人の優生思想へと結び付けられ、劣等人種としてのユダヤ人の大虐殺へと繋がって行きます。

同じく東洋と西洋の思想的対立から反ユダヤ思想を掲げる桜沢でしたが、「新しい栄養学」(1942年発行)で「私はヒトラー総統の如く、ユダヤ人を地上から一掃する必要や、可能性を認めるものではありません」と述べている通り、決してヒトラーのユダヤ人虐殺を容認したわけではないのです。そして戦後、「ヒトラーの凋落は、ダレの追放から始まった」と述べるように、つまるところ桜沢はダレの身土不二的な思想を称賛し、その思想を政策としたヒトラーを称賛したのであって、ヒトラーのその後の残虐なる人種差別的展開を称賛した訳ではないのです。

桜沢は反ユダヤ主義なのか?

もう一つここで大切なのは、ヒトラーの反ユダヤ主義と桜沢のユダヤ思想批判の違いを明確に検証することです。桜沢は1929年(昭和4年)から欧州で東洋医学や食養を普及するにあたり、欧州の医学界や科学界はもとより、政治経済の中心でユダヤ系企業による国際的な金融資本が大きな力を持っており、その資本により、影で欧州やアジアの革命や国際紛争を自在に操っているという「ユダヤ問題」に興味を持ち、1935年(昭和10年)に帰国するまで欧州全土で詳細なデータを集め、日本の軍部などにその危険性を進言していました。

桜沢は帰国後、1936年(昭和11年)に国際政治学会の「国際秘密力の研究」という研究書に論文を発表することを手始めに、戦後まで自身の著作で盛んにこのユダヤ問題を取り上げ、ユダヤ思想の危険性を論じました。一方当時の欧州各国は、異民族の侵入を排除することにより、ナショナリズムやファシズムの思想を強化していきます。そんな中、ユダヤ人の世界征服計画である秘密文書「シオンの議定書」(ロシアの神秘主義者が反ユダヤ主義のために書いたとされる創作物)が流布することにより、旧約聖書時代からの流浪の民であったユダヤ人の不条理な排除や撲滅がエスカレートし、欧州は反ユダヤ主義の大波に覆われていきます。その行き着く果が、ヒトラーのユダヤ人大虐殺という悲劇だったのです。

桜沢もそんな欧州の反ユダヤ主義に影響を受けたことは否めません。実際、現代では完全な偽書とされる「シオンの議定書」を引き合いにユダヤ人による世界征服計画を批判していたりもします。ただ、桜沢のユダヤ批判は、ヒトラーのような遺伝的劣等人種を根拠としたものでは決してありませんでした。むしろ、ユダヤ人は世界でも優秀な民族であると称賛していたのです。

ユダヤ人は、国を失い迫害される歴史から、土地の力に頼らず、絶対の信仰と優秀なる頭脳、そして国際的な金融システムを確立することで、欧米の政治、経済、科学、医学の分野を支配し、国を超えて世界に影響を与える力をつけていました。しかし、桜沢はそんな西洋世界に多大なる影響を与えるユダヤ人の優秀さを讃えつつ、流浪の民であるがゆえの「身土不二」の思想的欠落があることを問題にしたのです。つまり身体は土地と共にあるという「身土不二」の思想なきグローバリゼーションは、その土地に根ざした伝統や個性を破壊し、暴力的な植民地主義にたどり着き、時間や空間を無視した医学や栄養学、全体や環境から身体や物質を切り離す個人主義や唯物的思想を生み出すと批判したのでした。そして、西洋の物質文明の先導者であるユダヤ民族に、東洋の精神文明の先導者であるヤマト民族が勝つことで、精神が物質を従える調和的な世界平和が実現されると主張したのでした。

ヒトラーの反ユダヤ主義と桜沢のユダヤ思想批判は明らかに次元が違うことは確かですが、ダレの「血と土」に東洋的身土不二の思想を見出したからとはいえ、その思想が西洋での残虐なる民族主義を誘発することを見抜けなかったこの頃の桜沢はやはり批判されるべきなのか、それとも全世界がナショナリズムに傾倒したこの時代特有の雰囲気だったとして擁護されるべきなのかは、、私たちを含めたこれからの研究者の判断によるところと言えます。

著者プロフィール

高桑智雄/たかくわ・ともお

桜沢如一資料室室長。
1970年生まれ。2001年に日本CI協会に入社し、桜沢如一の陰陽哲学に感銘を受ける。
故・大森英櫻のアシスタントを担当した後、2011年より桜沢如一資料室の立上げ、運営に携わる。
編集・執筆に「マクロビオティックの陰陽がわかる本」「マクロビオティックムーブメント」」など。2015年発行の人気書籍「マクロビオティックの陰陽がわかる本」の編集者であり、 月刊マクロビオティック・コラム「Café de Ignoramus」連載中。

高桑智雄

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